NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

何だか僕らは電脳化してしまうね?

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こんにちは。
早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

少し前の事ですが、ワイヤレスイヤホンをしたまま車の運転をしている人を見かけました。
見かけた当初は、自動車のスピーカーで存分に音楽かければいいじゃないかと思ったのですが、イヤホンしたままでいればイグニションキーを回した(最近の車はキーレスエントリーがもはや主流なのでこんな表現もその内なくなってしまうかも)後にラジオのバンドいじったり、CD入れたりとかUSBケーブルで繋いだりとか音量を調整したりなどせずにシームレスに音楽を聞きながらドライブを始められるんですよね。まるでベイビー・ドライバーみたいに(彼は有線イヤホンでしたけど)。

 

 

加えてスマホとリンクさせて音楽等を聞いている場合、電話があった時などでもそのまま対応できるなど、もはや外す意味がないくらいになっていることも容易に想像がつきます。
そんな中、月刊「左利きの女」のメルマガに興味深い一文がありました。

いわゆるこの腕に巻いている製品はウエアラブルデバイスと呼ばれる類のものなんですが、自分との一体感。つまり、目覚まし時計は他者的存在であり、このウエアラブルデバイス(バンド)は、自己なんですね。だから腕でブルブルされても怒らないわけだ。(2019.11.21 fri 発行 vol.20メルマガ「左利きの女」のことも。そうでないことも。より)

そうなんです。スマホのアラームは不快だけれど、身につけて身体に同一と認識されるくらいなものになると、そのアラームは全然不快でないのです。
バイスが身体と同一化されればされるほど我々はそれを自分のものとして受け入れられるのだと思います。
とするとその先に見えている世界は「電脳化」なのではないかと店主は思ってしまうわけです。
「電脳化」というのは『攻殻機動隊』という映画やアニメにもなっている人気漫画の世界の技術で、脳に直接、小さな機械(マイクロマシン)を組み込み、神経細胞と結合させ、脳と外部世界を直接接続する事ができ、多くの人が日常と電脳世界を常に行き来しています。
流石に2019年のこの世界ではまだ電脳化は実用化はされていませんがテスラのイーロン・マスクを始め多くの人が実用化を目指し取り組んでいます。

それにしても、我々は気がつくと何かとコネクトした状態になっている事が日常生活の多くを占めているようなっています。現にこの文章を書いている時もまさにnoteというサービスにコネクトしている店主がいるわけですしね。 そんな中、びっくりする様な記事を見かけました。

 

www.moneypost.jp

 

2時間程度でもネットワークからディスコネクトするのが嫌なのかと驚きを覚え、瞬間的に思いメモしたのは下記のような事でした。

(ネットワーク等と)繋がるという快楽を知ってしまった我々はもはやそこから離れるという事は簡単ではありません。
その時、スマホを通して見ているものがお笑い番組の動画だったとしても、経済誌のコラムだったとしても、大事なのはその内容よりもその情報と繋がり、ひいては情報を元にさらに繋がれる人たちのなんだろうと思います。
もっと言うと実際には存在しなくてもそこに「存在すると信じられる」のならばそれで十分なんだと思います。そういう意味ではマトリックス的なディストピアであって我々はネオやトリニティーの様にはなれず存在しないステーキだとわかっていても存在したステーキを食べた気になれる世界を選ぶサイファーににしかなれない様な気がします。(店主のiPhone のメモより)

とここまで書いて残していたのですが、同時にスッキリしないものもありました。

そこでもう少し考えた結論は「我々は退屈という時間をどんどん駆逐していっている」という事なのではないかと思いました。


きっかけは飯田橋駅での乗り換えの時の出来事でした。電車の中ではみんながスマホを見ている事はもはや当たり前の風景ですが、その中の幾人かはスマホの画面を注視したままフラフラとゾンビの様に歩き出し、移動していったのです。何か大事な打ち合わせ、メールの確認などでの場合もあるとは思うのですが(それならば一旦立ち止まった方が建設的な対話になると思いますが)、エスカレーターで前にいる人、追い抜いていく人などの画面は動画やゲーム画面ばっかりだったのです。(そしてまた飯田橋駅は乗り換えに時間がかかるんですわ。)

 

これまでも「行列などの待ち時間」「乗車している移動時間」「食事中」などに本を読んでいた人を見かけたり、実際店主も経験があります。けれどそれはその作品のどハマりした時やハンバーガやサンドイッチなどを片手にとか程度でスマホ片手に残りの手で箸を持ち器に顔を近づけて箸を時々鼻の中に刺してしまいながら食べるという感じではありませんでした。

 

スマホは間違いなく便利で時間潰しにも困りません。そんなスマホがこれまで退屈の筆頭であった「行列」などへの退屈を駆逐にあらかた成功すると、今度は移動という身体行動もまた「退屈」の対象として駆逐をしようとされ始めている様に思います。
退屈を消すはずが結果的に退屈の領域が広がっているという皮肉な現象が発生している様にも思えます。なので映画上映中でも、つまらない映画に当たった場合や、映画の中でも少し締りのゆるい場面などで「退屈」に近い感覚を覚え、より「楽しい」ものへと繋がっていったのではないかと思ったり。でもスマホの光は映画上映中には銀紙を歯で噛むくらい不快なので本当にやめてほしいので、自身の退屈をスマホ以外などで解消できない人は早く電脳化してほしいと思ったりもします。
ただ電脳化したら脳ごとハッキングされちゃう危険がありますよねぇ。あれは本当に怖いので店主は電脳化はしたくないなぁ。

ちなみにスマホまだ身体と離れており、実際歩きスマホなどのながらは結構危ないですよね。

 

さらに、ちなみにイヤホンしたままの運転も外の音を聞こえにくくしてしまうという事で道交法違反になる可能性もありますので、お気をつけて。

それではまた来月(ってこんな感じでいいのかしらん。。。。)