NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

君はピクシーのインナーシャツを見た事があるか?

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こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です
(実はこの記事、前回の記事と同じ時期に書き始めてそのままになっていました。そのまま、お蔵入りしてても良かったですが今度は30代のおじさんも「何も変えられない」と言い出したので改めて書き進めることにしました。)

当店は新型コロナの感染拡大による緊急事態宣言に伴う要請に従い、2021年4月から5月の間、休業していました。
そんな中でも東京五輪の準備が修羅の様相を呈しながらも、開催に向けて進んでいるのを信じられない気持ちでみていました。

そんな折に1人の水泳選手の声明が話題になりました。店主は正直声明そのものがどうこうはないのですがその中に「私は何も変えられない」というフレーズがある事に大変なショックを覚えました(メディアの見出しのも多くがそのフレーズを掲載していた印象があります)。と同時に日本財団が2019年に行った「第20回 –社会や国に対する意識調査-」を思い出していました。
この調査は、インターネット上でインド・インドネシア・韓国・ベトナム・中国 イギリス・アメリカ・ドイツ・日本の17歳から19歳の男女(各国1,000名)したアンケートの回答をまとめたものでしたがその中の「自身について」にある質問に全て最下位となっていました。質問内容は「自分を大人だと思うか?」「将来の夢を持っている?」とかなのですが中でも「自分で国や社会を変えられると思うか?」項目は突出しておりYESと答えた人は20%を切っていました。(詳細は下記画像参照 引用元 18歳意識調査 | 日本財団 

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 件の水泳選手もちょうどこの調査の世代でドンピシャすぎるので、これがこの世代だけなのか若い世代全般にまで及んでいるのかはこの数値からだけでは判断できませんが、自分の実感としては老若男女問わずそういう気持ちを抱えながらも行動している人が多いのではないかと思います。
そんな事を思っていたら今度は32歳のおじさんもまた

「(前略)選手が何を言おうか世界は変わらない、選手はそれぞれができることを一人ひとりがやり、感動を届けることしかできないのかなと思いますね」と言葉を選びながら話した。」

と言い出してて(本当にそんな態度でそのよくわからん「感動」を届けられると思っているのか?そもそも感動って「届ける」ものなの?感動は受け取る側がするもので出す側が「感動」とか言い出すの傲慢じゃない?言葉選びながらでそれ?とかとかあまたのツッコミも含めて疑心が湧く店主です)、多くの世代がそのように感じているのではないかと改めて思った次第です。
東スポ2021年07月06日 20時59分配信記事【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」より

 そんなわけで水泳選手が「何も変えられない」と言い出して、体操選手も「変えられないけど感動を届ける」と似たようなコメントを出しているのを目にして、そういえば、東京五輪ではBLMなどの差別に対する抗議のパフォーマンスが禁止されていますねと頭の隅で忘れかけていた事柄を思い出しました。

かつてない感じで東京五輪は政治となっておりますが(都議選でも大きな争点でした ご参考 東京新聞<社説>東京都議選 五輪強行への批判だ 2021年7月5日 06時32分
「政治とスポーツは別!アマチュアスポーツの祭典!」が建前のオリンピックなのでそういう趣旨の要請は以前からありました。
それでも数多くの政治的表明が五輪を舞台に行われてきました。最悪な形として発現してしまったのはテロの舞台となってしまった1972年ミュンヘン五輪ではないと思いますが、他にもモスクワ五輪、ロサンゼルス五輪のボイコットなどもありますし、1936年のベルリン五輪ナチス政権のプロパガンダとの指摘もよくあります。

そういった国家の思惑を超えて選手個人も多くの発信をしてきました。最も有名なのは1968年メキシコ五輪での男子200mの表彰式でのトミー・スミス、ジョン・カーロスによる黒人差別に対する抗議ブラックパワー・サリュートではないでしょうか? 

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この後、選手達は不遇の人生を送るのですが2位オーストラリアのピーター・ノーマンもまた彼らに賛同していたためにその後不遇の人生を歩む事になります(当時豪州は黒人に差別的な政策白豪主義をとっていました)。ただその後の3人の軌跡は胸に大きな希望と勇気と敬意を抱かせます。詳しくは笹川財団20. 白人選手のブラックパワー・サリュート 【オリンピックの歴史を知る】こちらの記事を読んでみてください。
また脚注先の記事をぜひ。*1(※なお、上記画像も笹川財団の前出ページよりお借りしています。問題があるようでしたらすぐに削除します)

でも、そういうのって海外で外国の選手がやる事で日本ではないでしょ?とお思いのあなた。日本でだってあるのですあったのです!舞台はJリーグ、時は1999年3月ヴィツッセル神戸VS名古屋グランパス戦! 

 そして、そのプレーヤー人生を常に政治に蹂躙されてきたストイコビッチの意志が弾けたのは、後半44分だった。右からのロングボールを左ペナルティーエリア前で受けた妖精は、トラップ一発で相手DFを躱すとFW福田への絶妙なラストパスを通した。
 福田のゴールを見届けた次の瞬間、彼はユニフォームをたくし上げて咆哮した。Tシャツには試合前にひとりシャワールームで記した文字。

NATO STOP STRUKES(NATO空爆を止めよ」が浮かんでいた。

 この時の私の驚きは尋常ではなかった。何度、水を向けても「スポーツと政治は別だから」と頑なにポリティカルな発言を避けてきたあの男が……。

 否、とすぐに思い直した。もはやこれは政治ですらない。「人を殺すな」という極めて人道的な叫びではないか。
 (新版「悪者見参」木村元彦 集英社 より)

 

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彼は試合後もアンダーシャツを出し抗議行動をしたためJリーグより注意を受けます。そして彼の叫びは虚しく空爆は6月まで続きました。

し か し 店主は忘れない。ピクシーというすごい選手がJリーグにいた事を。彼がNATO STOP STRIKESを文字を空に掲げた事を。NATOがかつて彼の故郷のユーゴスラビアの空を爆弾で覆った事実を。

店主に限らず多くの人がこのような非人道的な行為があった事を胸に刻んでいます。店主は常に悲観しつつもそれでも人類は前に進んでいるんだと信じています(お願い信じさせて)。
だからその行為の一つ一つが、その時、意味がなくても過去の教訓として後々まで私たちに訴えかけてくるのではないかと思います。

選手が世界を変えらえないと思うのは仕方ないのかもしれません。現状を憂いているときに「我々に何ができるんだろう?」って友人に聞かれたりもします。
別に全ての行為がこの様な画面に露出する様な行為ではなくても『Weの市民革命』にある様な消費アクティビズムもまた一つの行為ではないかと思います。

もちろん、テロや国家の意思によるボイコットなんかは論外です。それらは歴史の教科書には載る事はあっても心に傷以外を残す事はありません。私たちが人間である事、そこに必要なのはヒューマニズムなのではないかと思います。
だから前の記事でも書きましたけれど店主は東京五輪中止もまた政治ではなく人道的な叫びだと思うのです。
なお、ピクシーという愛称で世界中で愛されたストイコビッチ選手。引用元にもある通り、「スポーツと政治は別」と常に語っています。*2

さらに余談ですがピクシーは名古屋在籍中ワールドカップにも出場し「Jリーグの選手がワールドカップに出てる!しかも点まで決めてる!」と当時高校生だった(と思う)店主に大きな夢と衝撃を与えてくれました。 
あと雨で水浸しになったピッチの上をリフティングでドリブルする姿にも心を撃ち抜かれました。

www.youtube.com

 話が横にずれすぎましたが、先の日本財団の調査でもう一つ「自分の国の将来について」という質問に対して「良くなる」と答えた割合が圧倒的に少なく、その様な閉塞感、諦観を打ち砕く一つの方法として人道的な叫びをあげていくのはどうだろうか?
そういうものの方が「感動を届け」ようとして行われる行為よりもよっぽどの心に刺さると思う店主です。

 

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なお、もしユーゴスラヴィアその時何があったん?と気になる方は「悪者見参」「終わらぬ「民族浄化セルビア・モンテネグロ」お勧めです。

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また、ピクシーすごいやん!どんな人なん?(納豆が好きな人だよー)と気になる人は「誇り」がお勧めです。いずれも著者は木村元彦さん。

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