NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

絵本『ぼく』についての走り書き(個人的見解の整理として)

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こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

先日『ぼく』という絵本を紹介しました。

nenoi.jp

 

その時まであまり知らなかったのですがこの絵本はテレビでも取り上げられた事もあって結構話題になっているようです。特徴的なのは賛否が入り混じり、一部界隈では侃侃諤諤の議論になっているようです。
というのもこの『ぼく』は自死をテーマにしている絵本で、その表現方法、編集部からの最後の一文も含めて多くの方が気になってしまう作品なのだと思います。

じゃあ、これが絵本として問題で、子供に読ませるべきではないかと言われると店主はそんなことはないと思います。では「自殺防止キャンペーン」などで配布されるような絵本かというとそういう内容でもないと思います。

この絵本では比較的フラットに「自分で死んだ」ということが示されます。したかったこと、なりたかったことをできないまま死んだという事がただ示されます。紹介でも書きましたが読者には「問いかけ」を送っているような作品だと思います。

この絵本を読みながら自分も小さい頃「死」というものに惹かれたり関心を持った時期があった事を思い出しました。『完全自殺マニュアル』とか読んでみたり、アニメとか映画とかよくでてくる、自分を犠牲にして誰かを助けるキャラクター(ガンダムのスレッガーさんとか、ゴジラの芹沢博士とか銀河英雄伝説キルヒアイスとかとか)のヒロイズムに陶酔してしまったりと「死」ってもしかしてかっこいいのでは?と倒錯した感覚。

そういう思いを抱いていた時にこういう「自死」について比較的フラットに描かれた絵本を読んでいたらどう思っただろうか?したい事が出来なくなる事について平気でいられただろうか?

でも同時に本能に抗って「死にたい」と思うくらいまでに思い詰められている時にこれを読んでいたら?この絵本はとても危うくて、死に魅入られてしまうのではないかとも思いました。

決してこの絵本は「死ぬ事」をいい事のように描いていません。けれど読み手がいつも描き手の意図した通りに受け取るとは限りません。なので編集部からの一文は絵本そのものからすると「野暮」なのかもしれませんが必要なものだと店主は思います。

美しい絵という部分が「死んだことの美化」につながるのではとも少し思ったりもしましたが、ではおどろおどろしく描くのか正解なのか?と言われるとそれもまた違う気がします。

5歳になる自分の子どもに読ませるか。と聞かれたらこちらから読ませることはしないけれど、読みたいと言ってきたら一緒に読むとは思います。

でもそういう事ができるのもミミちゃんという猫がわずか一ヶ月いなくなってしまった事をこの子も経験してるからからかもしれませんし、また店主自身も友人の喪失を経験しているからかもしれません。

今回一部界隈でではあるかもしれませんが、ここまで議論になっているのはこれが「絵本」だからだと思うのですが、絵本だから「自死」というテーマを避けましょうというのもまた違う気がしています。

ところで『ぼく』は「闇は光の母」という死をめぐる絵本シリーズの一冊なのですがこの「闇は光の母」というネーミングには唸ります。

 

早稲田大学さんはハラスメントやヘイトに毅然と対応して欲しい話

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

少し前から当店近くの早稲田大学で教鞭をとっている有馬哲夫教授がTwitter上にてヘイトとデマを垂れ流しており、多くの人が声をあげる事態となっています。

詳しくは下記のリンクをご確認ください

www.change.org

 

なぜこの件わざわざはてなblogに書いているかというと、この件とは直接関係ない(冒頭の教授とは別の人物です)のですが、当店にお見えになる学生さんから過去にある相談を受け、その時店主も早稲田大学さんにメールをしたことがあったのですが、少し傾向として似ているのではないかと思ったのでここに残しておこうと思った次第です。

以下その時送ったメール文(正確には問い合わせフォームになります。)。個人名、FACEBOOKのリンクについては削除していますが、それ以外は送った時のままです。2019年の出来事でした

 

件名【貴学院講義中に生じたハラスメント事案に対する事実関係の確認の調査のご要望】

本文

突然のご連絡失礼致します。
貴学のすぐそば西早稲田2丁目にてカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの根井と申します。
先日、当店にお見えになった学生からある講義において講師が「従慰安婦強制ではなかった」という発言を行い、学生より反論があったにも関わらず一方的に議論を打ち切り、またその授業に出ていた韓国籍の学生がその後、授業に出てこなくなったという相談を受けました。
お話をしてくれた学生は、以前より当店にはお見えになっており、真面目で徒に嘘をつくような人物ではありませんため、下記に私の方で把握し得た範囲の詳細で恐縮ですが記載しますので事実関係の確認ならびにご対応をご検討のほどお願いしたく存じます。

【発生日時】 2019年10月頃

【講義名】 〇〇〇〇(注:メールではちゃんと記載して送りました

 【講師名】〇〇〇〇(注:メールでは実名でお送りしました

 【状況】
前後の流れは不明ですが、講義中に愛知トリエンナーレの話になり、その際に同展で展示された慰安婦少女像に言及した上「慰安婦に強制はなかった」旨の発言をし、一人の学生と議論になった。
その際に講師である〇〇氏が「もう、いいから!」と強い語調で一方的に議論を打ち切ったとの事。
同講義に出ていた韓国籍の学生(反論した人とは別人)はその後この授業に出なくなった。

【確認をお願いしたい事由】
本講義はジョージ・オーウェルの英文エッセイを基に、政治と文学の関係を読み解く授業であるようですが、英文学の研究者が専門外の「従軍慰安婦」問題について学生の講義の中で行い、かつまた一方的に議論を打ち切るという対応は講師という立場を利用したハラスメントに他ならず、学問のとば口にたつ大学生への態度しては大変問題と認識しております。
また、韓国籍の学生の欠席がこの出来事に起因する出来事であるとした場合、このクラスへの欠席により本講義を履修とならなかった場合、GPAが下がる事が想定されますが、従軍慰安婦というテーマが韓国というバックグランドを持つ学生にとっては大きなものであることは想像に難くなく、プロテストとしての欠席がGPAへの影響をないものとして対応などの検討の必要だと思われます。
これは本講義ならびに同講師の授業を同様の事由により欠席をしている他の学生についても同様であると思います。
Milestone Express2019にて〇〇氏が担当されている「英文演習5(イギリス20世紀以降)」という講義の紹介が記載されておりますが、そこには「P.S.先生の思想はちょっぴり傾いている」と記載があり同種の発言を以前より恒常的に行っていることが類推されます。(Milestone Express2019 P.447)
同講師については自身のフェイスブックページにおいて、とある記事への批判として記者の学歴を見下す発言を投稿しており(8/15投稿  注:ここに該当投稿のリンクを貼っていました。リンク先の記事はすでに削除されていました)、学歴の一事を持って他者を見下すような人間性の人物が果たして果たして講師としてふさわしいのか疑義が生じます。
以上を踏まえ、事実の確認の調査、ならびにもし当店にお見えになった学生の話が事実とそう違わない場合、下記3点の対応をお願いしたく存じます。

 ・アカデミックハラスメントへの毅然たるご対応
 ・欠席学生への同講座への救済措置のご検討
 ・〇〇〇〇氏の講師への適性の再検討

私自身は残念ながら貴学への卒業生ではありませんが、早稲田にてお店を構えるようになり2年。
お店にお越しになる早稲田生はどなたも大変に聡明で真面目である印象を持っております。
未来ある学生たちに対し、そのような講義のあり方、人間性が当たり前のものだとは思って欲しくないと強く願い今回ご連絡した次第です。

 過日、インディアナ州大学では大学教授による差別的発言に対し毅然とした対応を行ったという報を目にしました。( https://provost.indiana.edu/statements/index.html )貴学もまた同学に勝るとも劣らない優秀な研究、教育機関であると思っております。どうぞご検討のほどお願いいたします。

追伸:本件につきましてはほぼ同内容にて貴学「ハラスメント防止室」へも送信しております。

2019.12. 5 NENOi店主 根井 啓

 

こちらに対してはハラスメント防止室からは翌日ご返信があり「授業中に起きた事なので文学学術院での対応がいいと思います」との事でした。

では文学学術院はどうだったというと本メールを送った同日中に「このたびお寄せいただいたご意見は承りました。 学部執行部で共有し、必要な措置を講じてまいります。」というご連絡をいただきましたがその後特にご連絡などはありませんでした。
相談を受けた学生さんからも特に何か動きがある様子はないと聞いていました。

そこで学期が終わる頃に改めてメールしたやりとりが下記になります。

 

2020/2/12にこちらから送信。

 

早稲田大学文学学術事務御中

 
先だってはご返信ありがとうございます。
その後、こちらの件につきましてはどうなりましたでしょうか?
少なくとも、授業をボイコットされた韓国籍の学生の方のGPAは守られるべきだと思うのですが。
以前相談受けた学生からは、特に生徒側へのアプローチはなく
逆に
 
ユダヤ人がイスラエルに今住んでいられるのはヒトラーのおかげ」
 
などという発言をしていたという事も伺っております。
今回のご連絡した一連の内容が事実であるなら本講義は講義という名を借りた素人の個人的妄言を垂れ流しているものでないかという疑念が生じてきますが、貴学術においてはそれが文学の講義と見なされるものなのでしょうか?
ご相談申し上げた内容が事実がどうかの確認がまず何より必要ですが生徒へのヒアリングもなく、という状況のまま終了としているということならばこちらでもできる範囲で動いてみる事も検討しております。
お忙しいとは存じますが状況についてお聞かせいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
NENOi 
根井

という内容をお送りしたところ6日後の2020/2/18に下記内容での返答でした。

 

早稲田大学文学学術事務です。
根井様が本学学生の声に真摯に耳を傾けてくださったことについて
深く御礼申し上げます。
12月にお問合せをいただいた段階で、すぐに学部執行部と情報を
共有し、対応について検討いたしました。その結果、この科目を
履修している学生から何らかの訴えがあれば直ちに対処すべく、
秋学期終了まで状況を注視しておりました。
学術としては学生の主張や意見に対していつでも相談に乗りたい
と考えておりますので、もし今後も学生とお話しになる機会があり
ましたら、文学学術事務に連絡するようご案内いただけます
でしょうか。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

というわけで結局何も動いてはくれなかったようです。
相談してくれた学生さんはこちらの件で別の生徒から政治活動的なものに勧誘されるようになった事などもあり、こちらからの働きかけはここでおしまいにする事にしました。

また、問い合わせの時に送った該当講師の「学歴を見下した」という事で添付したリンクの投稿はなぜか削除されていました。

ちなみにこの記事を書くにあたって久しぶりに同氏のFACEBOOKの投稿を確認したらグレタさんを「クソガキ」と書いたりしていて相変わらず品がないです。

そしてやりとりのきっかけとなった同名の講義を引き続き担当しているようです。

早稲田大学には本科生も含め800人ほど韓国籍の学生が在籍している*1ようなのですがその方達を含む学生さんに対してこのエントリーを書くきっかけとなった有馬氏のヘイトとデマを大学としてどう考えているのか、ぜひお伺いしたいですし、毅然と対応して欲しいと願っています。

また店主が過去に問い合わせをした件、何処の馬の骨ともわからん、店主のメールに返事を下ったのはありがたいなぁと思いつつも応対された方のお名前は書いてほしかったなぁという事と、事実関係の有無くらいは確認してほしかったなと今でも思います(講座の受講生に韓国籍の学生がいたのかどうか?など)。

多分店主以外にも過去にもこういった問い合わせは来ているのではないかと思うのですが明確なガイドラインなどの策定などをしていただけたらありがたいなぁと日々大学生をお店に迎え入れている店主としては思います。

 

親知らず

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桃子はずっと切り出せずにいたその言葉をついに白田に告げた。
「もう終わりにしたい」と。それを聞いた白田は怒り狂い、そして叫んだ。
「なんでだよ!ずっと一緒にいたじゃないか!なんでいまさら俺を捨てようとする!」
白田は部屋のあちこちを叩きながら桃子に詰め寄った。
「もうだめなの、、、あなたのことを嫌いになったわけではないのよ。でも、このままずるずると行っていたら確実に私、もたなくなっちゃうの。あなたに叩かれ続ける日々に、体がもたなくなっちゃうのよ!お願いだからもう私を自由にして!!」
桃子の叫びもむなしく白田は桃子の顔を殴り、そして組み伏せて覆いかぶさってきた。そのとき、急に白田の体から力抜け崩れ落ちた。
「も、ももこ、、、お前いったい、な、なにを、、、し、、、た、、、」
薄れ行く意識の中で白田は桃子の手に注射器のようなものが握られているのを目にした。そして、涙交じりの桃子の声が「ごめんね、白ちゃん」と言っていたのを確かに聞いて、白田は「泣かせるつもりじゃなかったんだけどな」とまで思った。
そこで白田の思考の一切はとまった。白田が意識を失ったのを確認した桃子はやおら立ち上がり、静かに白田を引き剥がし、そして袋に詰めた。
家に帰ったあと、一人になった部屋で桃子はその日抜いた親知らずのあった箇所を触ってみた。こめかみあたりにズキンと痛みが走った。

 

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

のっけからこれは一体なんの話しかって?これは以前親知らずを抜いた日に書いたお話です。せっかくなのでその日にしたことを覚えておこうと記録として書いてたのでネタに詰まってせっかくなので載せてみることにしました。

以下読み替え。

歯茎の腫れは進み、それまでずっと切り出せずにいた僕はついに歯医者の予約の電話をした。「親知らずを抜きたい」と。
それを言った後で親知らずが気になってばかりいた僕は口を意味もなく開けたり閉めたりしては頬の内側を傷つけ、顔をしかめていた。
8020運動とかあるし、歯はできるだけ残しておきたかったから、なるべくなら抜きたくなかったのだけど、だんだんと痛くなってくるし、歯ブラシでも届かないし、虫歯になんかなってしまったりしたら最悪だし、このままずるずる放置しておけば絶対にまずいことになる。
そこで歯医者さんは抜く前に麻酔をして、麻酔が効いているのを確認した後でゴリゴリと(ペンチか何かで)僕の歯を抜いて、その歯を歯医者さん頼んで袋に入れてもって帰ってきた。
家に帰ったあと、一人になった部屋でさっきまで親知らずのあった箇所を触ってみた。するとこめかみあたりにズキンとに痛みが走った。

ね?

 

それにしても麻酔されている最中の「今確実にめりめりと抜かれ歯と肉が離されていくのがわかるのに痛みがまったくない」という感覚は実に奇妙なものですね。

 

これ2008年頃に書いてたようです。ずいぶん昔だなぁ。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」を巡る個人的な小冒険

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こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。
先日機会があって『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』のゲラを読ませていただきました(貴重な機会をありがとうございます)。

『目の見えない白鳥さんさんとアートを見にいく』はタイトルのまんまですが全盲の美術鑑賞者である白鳥さんと作者の川内有緒さんとそのご友人たちと日本のあちこちで絵画や仏像、家やオブジェなどの現代美術を鑑賞しにいくノンフィクションです。

目が見えない人がどうやって鑑賞するのか?という多くの人が抱くであろう疑問とともに著者である川内さんもスタートし、目の見えない「かわいそうな人」白鳥さんといったラベルも気持ちいいほど簡単に剥がされ、読者もまた絵を通じてお互いを感じ合うやり取りに紛れ込んでその場にいるような感覚になります。
単なる美術鑑賞かくあるべしという枠を超えた、人のあり方にまで届くような本でした。


個人的な話なのですが、店主は読みながら自分に起きた一つの出来事を唐突に思い出してました。それはもう二十年位前のことで時期とか展示とか多少あやふやなのですがおそらく世田谷美術館でやっていた「ジョアン・ミロ展」を観ていた時(まだ二十代前半!フレッシュ!)、日経新聞を小脇に抱え、少しくたびれた四十代サラリーマンといった風体の男性がすぐそばで絵を見ていました。
そのおじさんは一人で絵の目の前に立ってはぶつくさと何事か呟いてて、そのせいか、いつしか彼の周りには誰もいなくなっていました。それはまるで彼の周りに見えない壁が作られてしまっていたかのようでした。
平日ということもあり、空いていたのであまりに気にしていなかったのですが、気づいたらとある一枚の絵の前でそのおじさんと一緒になってしまいました。
おじさんは「わからない、わからないなぁ。」と呟いた後、急に「これのどこが踊り子なんですか?」こちら向いて話しかけてきました。
「あのーもしかして私に聞いてます?」
とその時確かに思ったのも覚えているのですが、でも自分でもびっくりするくらいするりと
「感じればいいじゃないですか?」 
と返事をしていました。
そしたらそのおじさんは 「なるほど、感じればいいのか。ふーんなるほどね。」としきりに首を振りながら去っていきました。
その時店主の中でポンと何かが浮かび上がってきました。

マルセル・デュシャンは便器を置いて「泉」としました。
これは多くの人には「わからない」ものであったように思います。しかしデュシャンにとってその便器こそが「泉」だったのではないでしょうか!(すくなくともその瞬間においては)。
だから何かの拍子にデュシャンが発信した電波を受信するようにチャンネルが合えば鑑賞者もまた「確かに、これは泉だわ」となるのではないだろうか?という事でした。

もちろん、これはマニエリスム様式のルネサンス美術の解釈、分析には向かないだろうし、タイトルのない作品も沢山ある。けれど、作品から出てくるアート電波を受信するという感覚は割と楽しい試みなんじゃないだろうか?

 

とその時、思っていたのですが、本書ではまさに作品を前にしてその場にいる人たちが受信した内容を踏まえ「どう思う?」と意見を自由に出しあっているのです。こうじゃない?こんな風にも見えるよね。相手と真逆の意見があっても別に違う事を否定せずに、キャッチボールが行われ、いつしか白鳥さんもその投げたボールを受け止め鑑賞が始まります。
白鳥さんは対象が絵だったとしてもその絵のある空間、過程を含めて鑑賞します。その鑑賞のありかたは実は絵とか本とかに限らず、人に対しても言えることなのではないかと感じます。

目が見えている人が作品をちゃんと見れているかというとそんなわけではない事を気づかせてくれたり、社会的な問題を含んだ作品が登場したり、アートは向き合ってくれた鑑賞者に問いかけを送り、それが時として新しい世界の広がりをもたらしてくれる。そんな当たり前で素敵な事を改めて教えてくれました。

冒頭にバスに乗るシーンがあったせいなのか、白鳥さんとも川内さんともお会いした事はないのに既に二、三回は一緒に美術館に行く旅をした事があるような読後感に包まれました。

またしても個人的なお話しで恐縮ですが、本書には佐久間裕美子さんが登場するのですが、まさにその箇所を読んでいた日に当店に佐久間さんがお見えになるなど不思議なシンクロが起きたりもして忘れがたいタイトルになりました。

ところで日経新聞を小脇に抱えたおじさんの「わからないことを隠し立てもせずにわからないことして誰かに聞いた」という行為は実のところ尊敬に値する行為だと思うのだけどどうでしょうか?(聞いた相手はともかくとして)。

君はピクシーのインナーシャツを見た事があるか?

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こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です
(実はこの記事、前回の記事と同じ時期に書き始めてそのままになっていました。そのまま、お蔵入りしてても良かったですが今度は30代のおじさんも「何も変えられない」と言い出したので改めて書き進めることにしました。)

当店は新型コロナの感染拡大による緊急事態宣言に伴う要請に従い、2021年4月から5月の間、休業していました。
そんな中でも東京五輪の準備が修羅の様相を呈しながらも、開催に向けて進んでいるのを信じられない気持ちでみていました。

そんな折に1人の水泳選手の声明が話題になりました。店主は正直声明そのものがどうこうはないのですがその中に「私は何も変えられない」というフレーズがある事に大変なショックを覚えました(メディアの見出しのも多くがそのフレーズを掲載していた印象があります)。と同時に日本財団が2019年に行った「第20回 –社会や国に対する意識調査-」を思い出していました。
この調査は、インターネット上でインド・インドネシア・韓国・ベトナム・中国 イギリス・アメリカ・ドイツ・日本の17歳から19歳の男女(各国1,000名)したアンケートの回答をまとめたものでしたがその中の「自身について」にある質問に全て最下位となっていました。質問内容は「自分を大人だと思うか?」「将来の夢を持っている?」とかなのですが中でも「自分で国や社会を変えられると思うか?」項目は突出しておりYESと答えた人は20%を切っていました。(詳細は下記画像参照 引用元 18歳意識調査 | 日本財団 

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 件の水泳選手もちょうどこの調査の世代でドンピシャすぎるので、これがこの世代だけなのか若い世代全般にまで及んでいるのかはこの数値からだけでは判断できませんが、自分の実感としては老若男女問わずそういう気持ちを抱えながらも行動している人が多いのではないかと思います。
そんな事を思っていたら今度は32歳のおじさんもまた

「(前略)選手が何を言おうか世界は変わらない、選手はそれぞれができることを一人ひとりがやり、感動を届けることしかできないのかなと思いますね」と言葉を選びながら話した。」

と言い出してて(本当にそんな態度でそのよくわからん「感動」を届けられると思っているのか?そもそも感動って「届ける」ものなの?感動は受け取る側がするもので出す側が「感動」とか言い出すの傲慢じゃない?言葉選びながらでそれ?とかとかあまたのツッコミも含めて疑心が湧く店主です)、多くの世代がそのように感じているのではないかと改めて思った次第です。
東スポ2021年07月06日 20時59分配信記事【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」より

 そんなわけで水泳選手が「何も変えられない」と言い出して、体操選手も「変えられないけど感動を届ける」と似たようなコメントを出しているのを目にして、そういえば、東京五輪ではBLMなどの差別に対する抗議のパフォーマンスが禁止されていますねと頭の隅で忘れかけていた事柄を思い出しました。

かつてない感じで東京五輪は政治となっておりますが(都議選でも大きな争点でした ご参考 東京新聞<社説>東京都議選 五輪強行への批判だ 2021年7月5日 06時32分
「政治とスポーツは別!アマチュアスポーツの祭典!」が建前のオリンピックなのでそういう趣旨の要請は以前からありました。
それでも数多くの政治的表明が五輪を舞台に行われてきました。最悪な形として発現してしまったのはテロの舞台となってしまった1972年ミュンヘン五輪ではないと思いますが、他にもモスクワ五輪、ロサンゼルス五輪のボイコットなどもありますし、1936年のベルリン五輪ナチス政権のプロパガンダとの指摘もよくあります。

そういった国家の思惑を超えて選手個人も多くの発信をしてきました。最も有名なのは1968年メキシコ五輪での男子200mの表彰式でのトミー・スミス、ジョン・カーロスによる黒人差別に対する抗議ブラックパワー・サリュートではないでしょうか? 

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この後、選手達は不遇の人生を送るのですが2位オーストラリアのピーター・ノーマンもまた彼らに賛同していたためにその後不遇の人生を歩む事になります(当時豪州は黒人に差別的な政策白豪主義をとっていました)。ただその後の3人の軌跡は胸に大きな希望と勇気と敬意を抱かせます。詳しくは笹川財団20. 白人選手のブラックパワー・サリュート 【オリンピックの歴史を知る】こちらの記事を読んでみてください。
また脚注先の記事をぜひ。*1(※なお、上記画像も笹川財団の前出ページよりお借りしています。問題があるようでしたらすぐに削除します)

でも、そういうのって海外で外国の選手がやる事で日本ではないでしょ?とお思いのあなた。日本でだってあるのですあったのです!舞台はJリーグ、時は1999年3月ヴィツッセル神戸VS名古屋グランパス戦! 

 そして、そのプレーヤー人生を常に政治に蹂躙されてきたストイコビッチの意志が弾けたのは、後半44分だった。右からのロングボールを左ペナルティーエリア前で受けた妖精は、トラップ一発で相手DFを躱すとFW福田への絶妙なラストパスを通した。
 福田のゴールを見届けた次の瞬間、彼はユニフォームをたくし上げて咆哮した。Tシャツには試合前にひとりシャワールームで記した文字。

NATO STOP STRUKES(NATO空爆を止めよ」が浮かんでいた。

 この時の私の驚きは尋常ではなかった。何度、水を向けても「スポーツと政治は別だから」と頑なにポリティカルな発言を避けてきたあの男が……。

 否、とすぐに思い直した。もはやこれは政治ですらない。「人を殺すな」という極めて人道的な叫びではないか。
 (新版「悪者見参」木村元彦 集英社 より)

 

http://www.arhiva.serbia.gov.rs/g3/images/stojkonagoya2803.jpg

彼は試合後もアンダーシャツを出し抗議行動をしたためJリーグより注意を受けます。そして彼の叫びは虚しく空爆は6月まで続きました。

し か し 店主は忘れない。ピクシーというすごい選手がJリーグにいた事を。彼がNATO STOP STRIKESを文字を空に掲げた事を。NATOがかつて彼の故郷のユーゴスラビアの空を爆弾で覆った事実を。

店主に限らず多くの人がこのような非人道的な行為があった事を胸に刻んでいます。店主は常に悲観しつつもそれでも人類は前に進んでいるんだと信じています(お願い信じさせて)。
だからその行為の一つ一つが、その時、意味がなくても過去の教訓として後々まで私たちに訴えかけてくるのではないかと思います。

選手が世界を変えらえないと思うのは仕方ないのかもしれません。現状を憂いているときに「我々に何ができるんだろう?」って友人に聞かれたりもします。
別に全ての行為がこの様な画面に露出する様な行為ではなくても『Weの市民革命』にある様な消費アクティビズムもまた一つの行為ではないかと思います。

もちろん、テロや国家の意思によるボイコットなんかは論外です。それらは歴史の教科書には載る事はあっても心に傷以外を残す事はありません。私たちが人間である事、そこに必要なのはヒューマニズムなのではないかと思います。
だから前の記事でも書きましたけれど店主は東京五輪中止もまた政治ではなく人道的な叫びだと思うのです。
なお、ピクシーという愛称で世界中で愛されたストイコビッチ選手。引用元にもある通り、「スポーツと政治は別」と常に語っています。*2

さらに余談ですがピクシーは名古屋在籍中ワールドカップにも出場し「Jリーグの選手がワールドカップに出てる!しかも点まで決めてる!」と当時高校生だった(と思う)店主に大きな夢と衝撃を与えてくれました。 
あと雨で水浸しになったピッチの上をリフティングでドリブルする姿にも心を撃ち抜かれました。

www.youtube.com

 話が横にずれすぎましたが、先の日本財団の調査でもう一つ「自分の国の将来について」という質問に対して「良くなる」と答えた割合が圧倒的に少なく、その様な閉塞感、諦観を打ち砕く一つの方法として人道的な叫びをあげていくのはどうだろうか?
そういうものの方が「感動を届け」ようとして行われる行為よりもよっぽどの心に刺さると思う店主です。

 

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なお、もしユーゴスラヴィアその時何があったん?と気になる方は「悪者見参」「終わらぬ「民族浄化セルビア・モンテネグロ」お勧めです。

books.shueisha.co.jp

shinsho.shueisha.co.jp

また、ピクシーすごいやん!どんな人なん?(納豆が好きな人だよー)と気になる人は「誇り」がお勧めです。いずれも著者は木村元彦さん。

books.shueisha.co.jp

船板は沈みかけている

こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

緊急事態宣言再延長されそうですね。

新型コロナの感染者数はなかなか減少に転じず、北海道、福岡、沖縄など新しい地域も緊急事態宣言下におかれるなど依然情勢は厳しいままです。

先日、発熱して改めて思いましたが、東京五輪本当にやるんですかね?2021年なのに2020のままで。昨年より感染者数はるかに多く、医療現場からはこれ以上、五輪に派遣なんかできない(しかも無賃労働)と悲鳴のような声も上がっているのに。*1

そんな折、ある水泳選手の声明を出しました。それに対して種々様々な反応がありましたが、肯定的、否定的はともかくとして選手や競技連盟の方面からの、コロナ禍における五輪の開催に対して声少なすぎるのではないかと感じます。

医療現場からスタッフを引き剥がし、感染拡大予防の為に実施している来日した人への隔離措置は五輪関係者には適用せず、国民には未だなされない徹底的なコロナ検査、全ての世代へのワクチン接種。
その上で、観客を追い出し、隔離された空間で行われる競技。競技場だけでなく、高速道路などは優先的に利用できるように便宜がはかられ、競技によっては公共のエリアを封鎖され、救急車両すらもその間は通る事が出来なくなる。*2五輪のせいで届くものは届かず、間に合うはずの救急対応は間に合わず、施せるはずの医療は施されずに死んでいく人がでる。
平時でも時としてそういう悲劇が起こることはあると思います。しかし現状既に逼迫しており、五輪が催行されれば頻発する事は容易に想像されます。

店主はこの2年、コロナではなく行政のせいで殺されそうになっていると折に触れて感じています。
満足な補償も対策もなく、夜の仕事に従事する人達を目の敵にし、それでも足りなければ飲食店のせいにし検査の数も増やさず、ワクチン接種に対しても、時間はたっぷりあったはずなのに、ワクチン到着してから慌てて防衛省と各自治体に丸投げし、その結果お粗末な急増の穴だらけな申請方法のシステムが組み上がり、穴を指摘されたら感謝どころか抗議をする。
五輪関係者7万8千人*3へのコロナ検査の実施も、日本のPCR 検査は一日あたり20万件ほど*4しかない現状からすると一気に1.5倍近くにまで増加するほどの負担になります。
その分の皺寄せは市政の人たちにきます。五輪に向けた準備のために割かれるリソースをコロナ対策に回せたらもっと被害は減らせたではないか?選手村を緊急の隔離、治療施設に利用できていたらなど素人でもすぐに思い浮かぶものもあります。
5月中頃に店主の親がワクチン予約しましたがワクチンの接種は7月。これもリソースがあればもう少し前倒しにできたかもしれない。
5月5日に五輪のマラソンテストマッチがあったがために「まん防」の要請が遅れた北海道の感染者数は東京、大阪を超える勢いなっています。
開催が近づくにつれ行政だけでなく五輪もまた店主を殺しにきているように感じます。

大河ドラマ『いだてん』で阿部サダヲ演じる田畑政治役所広司演じる嘉納治五郎に「いまの日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか?」に詰め寄る場面がありましたが、この五輪のせいで確実に人が「殺される」五輪は「あなたが出場したいと憧れた五輪なのですか?」と聞いてみたい気持ちに駆られます。

これは政治の問題ではなく命の、人道的な、人間性の、ヒューマニズムの問題だと店主は思います。

それだけに「それでも五輪は目標であり誰を犠牲しても出たい」なのか「人を殺してまでも出たくない」なのか声を出す選手、競技連盟なりがほぼいないことにガッカリした気持ちになります。
もちろん現状に対して選手に非はなく、悪いのは行政である事は自明です。本来ならここまで迫られることはない事柄です。
ガンダムF91』におけるセシリー・フェアチャイルドのように状況に巻き込まれ「こうなっちゃったのよ、こうできちゃったのよ…どうしたらいいと思う?」と聞きたくなる気持ちもあるかと思います。
一人じゃ何も変えられないと思うかもしれない。けれど一人の声が無ければ全体が動く事はないのです。
「競技に人生をかけてきた選手たち」という擁護も見られますが、人生かけてお店を開業した人達には何故そのように言わずに五輪だけに言われ優遇されるのでしょうか?ここで補償があれば10年後には世界的なお店になった所もあったかもしれません。

店主は時折、難破した船から放り出されて、どうにか船板を溺れそうになりながらしがみついているような気持ちになる事があります。でもここ最近その板の片方を五輪に掴まれているような感覚を覚えます。
しかも五輪は溺れかけているわけではなく浮き具をあちこちにつけ、パラソルまでつけているのに何故かこちらの船板を掴んでくるのです。

そんな状況で開催された五輪で選手が「皆さんの応援を力に」とか「皆さんに少しでも元気を与えられたら」とか言われたら正直ムカっ腹が立ちます。これは店主の感情の問題。
でも店主がこの先新型コロナにかかってしまったり、店主の周りの人が罹患し、苦しんでいたらムカっ腹どころか確実に行政、オリンピック、そしてそこに出た選手達を憎むと思います。そして新型コロナに罹患する可能性は残念ながら高いままなのです。
(もちろんコロナ以外の病気、怪我でも今の状況では命取りになる可能性もあります。その場合でも同じように感じるのではないかと思います)

IOCの偉いタカリやみたいなおじさん*5が「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」と発言したそうですが、その犠牲の多くを払うのは市政の人々であり、余りにも犠牲の割合がいびつではないでしょうか。*6
その上に立つスタジアムで実現するアスリートの五輪の夢とやらは果たしてそれに見合うものなのでしょうか?

少なくともそんなよくわからないもののためにこれ以上犠牲にはなりたくない店主です。

PCR検査を受けた話

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こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。
現在(2021年5月14日現在)当店は休業中です。昨年に続き今年も緊急事態宣言発令→延長となり学びの重要さを実感する日々です。

今年の休業には4月25日から始まっていますが、突然の休業に気が抜けたのか4月30日に38度まで熱が出てPCR検査を受ける事になりました。ただ人によって全然状況も違うようなので記録という意味でもその時のことを書いておこうと思います。

 

1. どんな症状だった?

 数日前から喉がなんだかイガイガするなぁと床についたもののなんだかうまく寝付けず、早朝にベッドを抜け出し、寒気を覚えたので体温を測ったところ38度。。。
味覚もあり、熱の割にそこまでしんどい感じがなかったので、普段なら1日くらいは様子を見ていたのですがこのコロナ禍に加えて、その日は金曜日。ということでPCR検査も含めて対応しているところを探したところ過去に行ったことがあるクリニックのHPに検査している事が記載されているのを発見。

2. 案内の通り電話したんだけど。。。

HPに書かれていた発熱外来用の電話予約受付開始時間に電話しても誰も出ない。。。。少し調べてみるとこのクリニック、金曜日は他の曜日と診療時間が違ってて午後からだったので多分それで電話に出なかったのではと推察。(だったらHPにも金曜日は午後からとか書いておいて欲しいよう)
午後改めて電話したら無事に電話も繋がり18時に来てくれという案内をいただく。ただ「5分前とかじゃなくて6時きっかりに来てくれ」とさらっと無茶な要求まで付いてきた

3. 診察どんな感じだった?

まず自宅で体温を測ってから病院に行き、病院に着いたら早速パーテーションで区切られた奥の方に行くように指示され、そこでしばらく待機。透明な仕切りを挟んでお医者さんが登場し、問診(この時に自宅で測った体温も報告する。診察時は少し下がって37度5分程度でした)のみでPCR検査をする事に。時節柄してもらった方がありがたいけど、そんな適当なやりとりで薬を出されるのもねぇという気持ちになったりしました。

4. PCR検査はどんな感じだった?

 PCR検査は容器を渡されそこに唾液を入れ、検査に回すというものでした。店主は喉をやられていたので検査の2時間前から水も含めて飲食禁止だった事が地味にしんどかったです。喉が常に乾いた状態だったので唾液を規定の量まで出すのが大変でした。

結果は翌日にわかるとの事で「17時から19時までの間に連絡します」と言った後に「陽性だったら17時から20時までの間に連絡します」と言い直しててちょっと変だなと思ったけれどそのまま終了。お金も離れたところにトレーを置かれてそこに置くとかそんな感じでコロナだった事を想定したら仕方ないとは思いつつも「人ではなく腫れ物を扱う」感じを受けて悲しい気持ちにはなりました。
その日はそのまま帰宅。幸い家族はこの日から不在になっていたのでちょっと安心して自宅で自主隔離をしていました。

5. その後(結果は陰性でした)

翌日は37度5分から36度5分をあたりを行ったり来たりで喉の痛みは引き続きあるものの、前日よりもしんどさはなく良くなっている感じでした。とはいえ「コロナは急激に悪化がする」と聞いていたので結果が出るまではドキドキしていました。

 ただ時間になっても連絡が来ない。。。19時、20時まで待っても来ない。。。「PCR検査 結果」などでググると「連絡があるのは陽性の場合だけ」という人も結構いるみたいで、そういう事かと思おうともしたのですが「検査しておいて結果教えないのは変でしょ?」という事で再びHPを確認しメールをする事に(その前に電話したけど誰も出ず。。。)、そのメールを見たのか20時半過ぎにようやく電話で連絡あり「検査したら陽性の疑いが出て再検査に回ってもう一回調べたら陰性でした」という事で陰性だったのですが心なしか「陽性になりかけたけど俺のおかげで陰性になったんだぞ」的なトーンがあった気がして「なんだこれ、、、」となっていたのですが最後に「何か変な事があったら発熱相談センターへ」と言われたので「変な事って何?(特にコロナだと疑えるような変なこととは?)」と聞いてみたら「それは自分で判断してください」って言われてしばし呆然。。。

喉は結構しばらく後までイガイガしてて声もなかなか戻らずという状況でしたらとりあえず元気に過ごしています。

 

家の近所にいい掛かりつけのお医者さんが欲しいと改めて思いました。