NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

zine生いろいろ

ご無沙汰しています。久しぶりの更新です。
当初は「開店日記のように開店準備を綴ったブログや本はたくさんある反面、閉店日記みたいなものってあまり無いなから書いてみようかな」と思い立ち、書き始めてみたりもしたのですが「これはテンション上がらんわ」と当たり前のこと気付き早々に筆を放りだしてしまいました。
開店はいい、疲れていても「これから起きる新しいこと」にワクワクしその興奮に身を委ねながら書き切ることができます。しかしながら「これから終わって無くなること」を書き続けるのは(意外とあれこれとする事のある)閉店作業と並行して進めるのはかなりしんどい。何事もやってみないとわからないものだという事実を実感しました。

というわけで今回はzineについて書いてみようかと思っています。と言っても内容の話ではなく。。。

ーーーーー
本は一般的にどこでも同じ値段で購入できるので基本的に店舗の規模が大きければ大きいほど様々な種類の本を扱っている本屋になります。
また店頭になくても時間さえ気にしなければ注文すれば手に入れることができます。
そんなわけでこだわりの選書をしていると言われる事の多い、所謂独立系の本屋(インディーズ系本屋と呼びたい)は選書をしているというより「スペースが十分にないので泣く泣く選別している」というのが実情かもしれません。
ただそうなると結局より多くの本を揃えている本屋に品揃えという意味では負けてしまいます。もちろん絞ったことでともすれば見過ごされてしまういい本が目に入るようになって特定のインディーズ本屋でよく売れる本というのも出てくるだろうと思います。
そんな本と本屋を巡る状況がある中、ISBNなどもなく一般に流通していないzineと言われる同人誌、自費出版本は一般的な書籍に比べて「マイナー」である半面「そこでしか買えない」という付加価値と共にお店に個性を与えてくれるものになります。
経営的にもzineとお店がうまくハマると「他の本屋さんでは手に入らない事が多い」という性質上、売り上げを支えてくれる強力な相棒になってくれます。けれど上手くハマらない場合、ちょっと扱いに困ってしまう場合も。。。
そんなzineと本屋との関係、相性についてお店での経験からちょっと書いてみようかなと思います。なお以下に書くことはあくまでも個人的な経験によるものなので常に当てはまるものではない事を予め付記しておきます。

1.こんなzineがうまくいく(事が多い)その1、お店の事をちゃんと見てくれている人

お店を構えているとzineの売り込みを受ける事が結構あります。メールだったり事前にアポ取った上でのご来店だったり、飛び込みできたりと様々です。メールについてはその文章の内容でテンプレ使ってまとめて送っているのか、お店ごとに丁寧に書いているか読み手にはすぐわかるので、内容を踏まえて「この人いいな」と思うくらいしか判断材料はないですが、店頭にお見えになる方とはお話しする機会が必然生まれるのでぜひ沢山話してみてください。その人が「面白いな」と感じた場合、そのzineは相性がいい可能性が高いです。
逆にお店に来てもどんな本が並んでいるか、どんなお店なのかもほとんど興味がないかのようにカウンターに一直線、面白くもない話を話すだけ話して何も買わずに帰る人のzineは大抵うまくいきません(何も買わなくても、この人面白いなと思わされてしまったものはその限りではありません)。ここは後でちょっと書きます。
お店の棚をしっかりみてくれる人や何か買ってくれる人は「このお店がどんなお店なのか?」をしっかり考えているし「その人の興味にしっかりと刺さるものが置いているお店」となっている事なのでzineの作者も相性を考えて置いて欲しいと依頼をしているのでうまく行くことが多いように思います。

2.こんなzineがうまくいく(事が多い)その2、お店の事も考えてくれる人

1.にも関連するのですがお店で本を買ってくれたり、自分のzineを置いてるお店のことも考えてくれる人のzineはうまく行くことが多いです。そういう人はSNSで発信する際も「zine出しました!」だけでなく「ここに置いてます!このお店はこういう雰囲気なんですよ!」という丁寧な発信をしている人が多い印象です。ただ「いいお店」と書くだけでなく「こういう本を買いました。こんなのものがありました」と書いてあるとzineの作者がお店を気に入っている印象が強まるのか「このzineを買うならここにしよう!」と思う方が多くなるように感じています。中には「そのお店限定の何か」なんかもつけてくれる人もいますがそこら辺はお店と作者の関係性によるのではないかと思います(ただこれはzineに限らず、一般書籍でも当てはまる気がします)。

3.面白そうと思ってもご用心その1、リテラシーの低い人

「zine置かせてください」というメールを送ってくる人の中には明らかに「それはない」って人が結構います。メールの使い回しの修正漏れで宛名が違っていたりとかもありますが、やはり一斉に複数のアドレスにto、ccで送ってくる人とはその後の精算などのやり取りでトラブルになる予感しかしないので(それが面白そうであったとしても)取引はしない方が無難だと店主は思います。

4.面白そうと思ってもご用心その2、店内を眺めることもしない人

1でも触れましたが、店内をほとんど見て回るようなこともしない人で話も大して面白くない人は「置いてもらう」事にしか関心がないので置いてもらったらその後は特に関心がありません。不思議とそういう人は「私のzineここに置いてます」とPRすることもあまりされない人が多く、結果塩漬けになってしまうことが結構あります。
(さらにいうと「そろそろ返本したいのですが…」と連絡しても返信がない場合もあったりで…、もっというと「置かせてください」と来て、「いいですよ」と答えたのに全然送ってこないので結局断るなんて人もいたり…)。

なんか思ったより類型化できてない気もするのですがzineは一般書籍よりも作り手との関係性が重要になってくるのでお店側としてはそこら辺を踏まえた上でうまく活用してみると楽しいと思います。またどんな形でもいいので納品書はちゃんと貰っておいたほうがいいと思いますのでお取引がある際にはお忘れなく。

雪のメリーゴーランド

リハビリがてら昔書いた掌編を少しだけ手直しして投稿します。タイトル付がいつも苦手です。

1.サキ

 サキという名の娘にあった。冬の事だった。
 その時、僕は山麓の山小屋のような宿に泊まっていた。
 何か目的があったわけではない。何かよくわからないもやもやした一切から逃げ出したかったからのようにも思うし、単純にどこかへ出かけたかっただけだったのかもしれない。正直なところ、よくわからない。とにかく僕はその山麓の村に滞在していた。
 逗留3日目、思索のままに歩いていたら雪の中に埋もれたメリーゴーランドを見つけた。

続きを読む

リコリスの味はどんなだ?

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

今日は先日観てショックを受けた『リコリス・リコイル』というアニメについて書いてみたいと思っています。
というわけでこの先、本作のネタバレとかなり批判的な内容が続きますのでネタバレ、批判的なレビューは目にしたくないよーと言う方はそのまま本ページを閉じてください。

あとここに書いてあるような事は目新しいことは何もなく、多分すでに他の方にもっとスマートな文章で指摘されてると思いますが店主が勝手に感じたことなのでそのままだらだらと書いてみます。

続きを読む

絵本『ぼく』についての走り書き(個人的見解の整理として)

f:id:NENOi:20220408150216j:plain

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

先日『ぼく』という絵本を紹介しました。

nenoi.jp

 

その時まであまり知らなかったのですがこの絵本はテレビでも取り上げられた事もあって結構話題になっているようです。特徴的なのは賛否が入り混じり、一部界隈では侃侃諤諤の議論になっているようです。
というのもこの『ぼく』は自死をテーマにしている絵本で、その表現方法、編集部からの最後の一文も含めて多くの方が気になってしまう作品なのだと思います。

じゃあ、これが絵本として問題で、子供に読ませるべきではないかと言われると店主はそんなことはないと思います。では「自殺防止キャンペーン」などで配布されるような絵本かというとそういう内容でもないと思います。

この絵本では比較的フラットに「自分で死んだ」ということが示されます。したかったこと、なりたかったことをできないまま死んだという事がただ示されます。紹介でも書きましたが読者には「問いかけ」を送っているような作品だと思います。

この絵本を読みながら自分も小さい頃「死」というものに惹かれたり関心を持った時期があった事を思い出しました。『完全自殺マニュアル』とか読んでみたり、アニメとか映画とかよくでてくる、自分を犠牲にして誰かを助けるキャラクター(ガンダムのスレッガーさんとか、ゴジラの芹沢博士とか銀河英雄伝説キルヒアイスとかとか)のヒロイズムに陶酔してしまったりと「死」ってもしかしてかっこいいのでは?と倒錯した感覚。

そういう思いを抱いていた時にこういう「自死」について比較的フラットに描かれた絵本を読んでいたらどう思っただろうか?したい事が出来なくなる事について平気でいられただろうか?

でも同時に本能に抗って「死にたい」と思うくらいまでに思い詰められている時にこれを読んでいたら?この絵本はとても危うくて、死に魅入られてしまうのではないかとも思いました。

決してこの絵本は「死ぬ事」をいい事のように描いていません。けれど読み手がいつも描き手の意図した通りに受け取るとは限りません。なので編集部からの一文は絵本そのものからすると「野暮」なのかもしれませんが必要なものだと店主は思います。

美しい絵という部分が「死んだことの美化」につながるのではとも少し思ったりもしましたが、ではおどろおどろしく描くのか正解なのか?と言われるとそれもまた違う気がします。

5歳になる自分の子どもに読ませるか。と聞かれたらこちらから読ませることはしないけれど、読みたいと言ってきたら一緒に読むとは思います。

でもそういう事ができるのもミミちゃんという猫がわずか一ヶ月いなくなってしまった事をこの子も経験してるからからかもしれませんし、また店主自身も友人の喪失を経験しているからかもしれません。

今回一部界隈でではあるかもしれませんが、ここまで議論になっているのはこれが「絵本」だからだと思うのですが、絵本だから「自死」というテーマを避けましょうというのもまた違う気がしています。

ところで『ぼく』は「闇は光の母」という死をめぐる絵本シリーズの一冊なのですがこの「闇は光の母」というネーミングには唸ります。

 

早稲田大学さんはハラスメントやヘイトに毅然と対応して欲しい話

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

少し前から当店近くの早稲田大学で教鞭をとっている有馬哲夫教授がTwitter上にてヘイトとデマを垂れ流しており、多くの人が声をあげる事態となっています。

詳しくは下記のリンクをご確認ください

www.change.org

 

なぜこの件わざわざはてなblogに書いているかというと、この件とは直接関係ない(冒頭の教授とは別の人物です)のですが、当店にお見えになる学生さんから過去にある相談を受け、その時店主も早稲田大学さんにメールをしたことがあったのですが、少し傾向として似ているのではないかと思ったのでここに残しておこうと思った次第です。

以下その時送ったメール文(正確には問い合わせフォームになります。)。個人名、FACEBOOKのリンクについては削除していますが、それ以外は送った時のままです。2019年の出来事でした

 

件名【貴学院講義中に生じたハラスメント事案に対する事実関係の確認の調査のご要望】

本文

突然のご連絡失礼致します。
貴学のすぐそば西早稲田2丁目にてカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの根井と申します。
先日、当店にお見えになった学生からある講義において講師が「従慰安婦強制ではなかった」という発言を行い、学生より反論があったにも関わらず一方的に議論を打ち切り、またその授業に出ていた韓国籍の学生がその後、授業に出てこなくなったという相談を受けました。
お話をしてくれた学生は、以前より当店にはお見えになっており、真面目で徒に嘘をつくような人物ではありませんため、下記に私の方で把握し得た範囲の詳細で恐縮ですが記載しますので事実関係の確認ならびにご対応をご検討のほどお願いしたく存じます。

【発生日時】 2019年10月頃

【講義名】 〇〇〇〇(注:メールではちゃんと記載して送りました

 【講師名】〇〇〇〇(注:メールでは実名でお送りしました

 【状況】
前後の流れは不明ですが、講義中に愛知トリエンナーレの話になり、その際に同展で展示された慰安婦少女像に言及した上「慰安婦に強制はなかった」旨の発言をし、一人の学生と議論になった。
その際に講師である〇〇氏が「もう、いいから!」と強い語調で一方的に議論を打ち切ったとの事。
同講義に出ていた韓国籍の学生(反論した人とは別人)はその後この授業に出なくなった。

【確認をお願いしたい事由】
本講義はジョージ・オーウェルの英文エッセイを基に、政治と文学の関係を読み解く授業であるようですが、英文学の研究者が専門外の「従軍慰安婦」問題について学生の講義の中で行い、かつまた一方的に議論を打ち切るという対応は講師という立場を利用したハラスメントに他ならず、学問のとば口にたつ大学生への態度しては大変問題と認識しております。
また、韓国籍の学生の欠席がこの出来事に起因する出来事であるとした場合、このクラスへの欠席により本講義を履修とならなかった場合、GPAが下がる事が想定されますが、従軍慰安婦というテーマが韓国というバックグランドを持つ学生にとっては大きなものであることは想像に難くなく、プロテストとしての欠席がGPAへの影響をないものとして対応などの検討の必要だと思われます。
これは本講義ならびに同講師の授業を同様の事由により欠席をしている他の学生についても同様であると思います。
Milestone Express2019にて〇〇氏が担当されている「英文演習5(イギリス20世紀以降)」という講義の紹介が記載されておりますが、そこには「P.S.先生の思想はちょっぴり傾いている」と記載があり同種の発言を以前より恒常的に行っていることが類推されます。(Milestone Express2019 P.447)
同講師については自身のフェイスブックページにおいて、とある記事への批判として記者の学歴を見下す発言を投稿しており(8/15投稿  注:ここに該当投稿のリンクを貼っていました。リンク先の記事はすでに削除されていました)、学歴の一事を持って他者を見下すような人間性の人物が果たして果たして講師としてふさわしいのか疑義が生じます。
以上を踏まえ、事実の確認の調査、ならびにもし当店にお見えになった学生の話が事実とそう違わない場合、下記3点の対応をお願いしたく存じます。

 ・アカデミックハラスメントへの毅然たるご対応
 ・欠席学生への同講座への救済措置のご検討
 ・〇〇〇〇氏の講師への適性の再検討

私自身は残念ながら貴学への卒業生ではありませんが、早稲田にてお店を構えるようになり2年。
お店にお越しになる早稲田生はどなたも大変に聡明で真面目である印象を持っております。
未来ある学生たちに対し、そのような講義のあり方、人間性が当たり前のものだとは思って欲しくないと強く願い今回ご連絡した次第です。

 過日、インディアナ州大学では大学教授による差別的発言に対し毅然とした対応を行ったという報を目にしました。( https://provost.indiana.edu/statements/index.html )貴学もまた同学に勝るとも劣らない優秀な研究、教育機関であると思っております。どうぞご検討のほどお願いいたします。

追伸:本件につきましてはほぼ同内容にて貴学「ハラスメント防止室」へも送信しております。

2019.12. 5 NENOi店主 根井 啓

 

こちらに対してはハラスメント防止室からは翌日ご返信があり「授業中に起きた事なので文学学術院での対応がいいと思います」との事でした。

では文学学術院はどうだったというと本メールを送った同日中に「このたびお寄せいただいたご意見は承りました。 学部執行部で共有し、必要な措置を講じてまいります。」というご連絡をいただきましたがその後特にご連絡などはありませんでした。
相談を受けた学生さんからも特に何か動きがある様子はないと聞いていました。

そこで学期が終わる頃に改めてメールしたやりとりが下記になります。

 

2020/2/12にこちらから送信。

 

早稲田大学文学学術事務御中

 
先だってはご返信ありがとうございます。
その後、こちらの件につきましてはどうなりましたでしょうか?
少なくとも、授業をボイコットされた韓国籍の学生の方のGPAは守られるべきだと思うのですが。
以前相談受けた学生からは、特に生徒側へのアプローチはなく
逆に
 
ユダヤ人がイスラエルに今住んでいられるのはヒトラーのおかげ」
 
などという発言をしていたという事も伺っております。
今回のご連絡した一連の内容が事実であるなら本講義は講義という名を借りた素人の個人的妄言を垂れ流しているものでないかという疑念が生じてきますが、貴学術においてはそれが文学の講義と見なされるものなのでしょうか?
ご相談申し上げた内容が事実がどうかの確認がまず何より必要ですが生徒へのヒアリングもなく、という状況のまま終了としているということならばこちらでもできる範囲で動いてみる事も検討しております。
お忙しいとは存じますが状況についてお聞かせいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
NENOi 
根井

という内容をお送りしたところ6日後の2020/2/18に下記内容での返答でした。

 

早稲田大学文学学術事務です。
根井様が本学学生の声に真摯に耳を傾けてくださったことについて
深く御礼申し上げます。
12月にお問合せをいただいた段階で、すぐに学部執行部と情報を
共有し、対応について検討いたしました。その結果、この科目を
履修している学生から何らかの訴えがあれば直ちに対処すべく、
秋学期終了まで状況を注視しておりました。
学術としては学生の主張や意見に対していつでも相談に乗りたい
と考えておりますので、もし今後も学生とお話しになる機会があり
ましたら、文学学術事務に連絡するようご案内いただけます
でしょうか。

どうぞ宜しくお願いいたします。

 

というわけで結局何も動いてはくれなかったようです。
相談してくれた学生さんはこちらの件で別の生徒から政治活動的なものに勧誘されるようになった事などもあり、こちらからの働きかけはここでおしまいにする事にしました。

また、問い合わせの時に送った該当講師の「学歴を見下した」という事で添付したリンクの投稿はなぜか削除されていました。

ちなみにこの記事を書くにあたって久しぶりに同氏のFACEBOOKの投稿を確認したらグレタさんを「クソガキ」と書いたりしていて相変わらず品がないです。

そしてやりとりのきっかけとなった同名の講義を引き続き担当しているようです。

早稲田大学には本科生も含め800人ほど韓国籍の学生が在籍している*1ようなのですがその方達を含む学生さんに対してこのエントリーを書くきっかけとなった有馬氏のヘイトとデマを大学としてどう考えているのか、ぜひお伺いしたいですし、毅然と対応して欲しいと願っています。

また店主が過去に問い合わせをした件、何処の馬の骨ともわからん、店主のメールに返事を下ったのはありがたいなぁと思いつつも応対された方のお名前は書いてほしかったなぁという事と、事実関係の有無くらいは確認してほしかったなと今でも思います(講座の受講生に韓国籍の学生がいたのかどうか?など)。

多分店主以外にも過去にもこういった問い合わせは来ているのではないかと思うのですが明確なガイドラインなどの策定などをしていただけたらありがたいなぁと日々大学生をお店に迎え入れている店主としては思います。

 

親知らず

f:id:NENOi:20210929145545j:plain


桃子はずっと切り出せずにいたその言葉をついに白田に告げた。
「もう終わりにしたい」と。それを聞いた白田は怒り狂い、そして叫んだ。
「なんでだよ!ずっと一緒にいたじゃないか!なんでいまさら俺を捨てようとする!」
白田は部屋のあちこちを叩きながら桃子に詰め寄った。
「もうだめなの、、、あなたのことを嫌いになったわけではないのよ。でも、このままずるずると行っていたら確実に私、もたなくなっちゃうの。あなたに叩かれ続ける日々に、体がもたなくなっちゃうのよ!お願いだからもう私を自由にして!!」
桃子の叫びもむなしく白田は桃子の顔を殴り、そして組み伏せて覆いかぶさってきた。そのとき、急に白田の体から力抜け崩れ落ちた。
「も、ももこ、、、お前いったい、な、なにを、、、し、、、た、、、」
薄れ行く意識の中で白田は桃子の手に注射器のようなものが握られているのを目にした。そして、涙交じりの桃子の声が「ごめんね、白ちゃん」と言っていたのを確かに聞いて、白田は「泣かせるつもりじゃなかったんだけどな」とまで思った。
そこで白田の思考の一切はとまった。白田が意識を失ったのを確認した桃子はやおら立ち上がり、静かに白田を引き剥がし、そして袋に詰めた。
家に帰ったあと、一人になった部屋で桃子はその日抜いた親知らずのあった箇所を触ってみた。こめかみあたりにズキンと痛みが走った。

 

こんにちは。早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

のっけからこれは一体なんの話しかって?これは以前親知らずを抜いた日に書いたお話です。せっかくなのでその日にしたことを覚えておこうと記録として書いてたのでネタに詰まってせっかくなので載せてみることにしました。

以下読み替え。

歯茎の腫れは進み、それまでずっと切り出せずにいた僕はついに歯医者の予約の電話をした。「親知らずを抜きたい」と。
それを言った後で親知らずが気になってばかりいた僕は口を意味もなく開けたり閉めたりしては頬の内側を傷つけ、顔をしかめていた。
8020運動とかあるし、歯はできるだけ残しておきたかったから、なるべくなら抜きたくなかったのだけど、だんだんと痛くなってくるし、歯ブラシでも届かないし、虫歯になんかなってしまったりしたら最悪だし、このままずるずる放置しておけば絶対にまずいことになる。
そこで歯医者さんは抜く前に麻酔をして、麻酔が効いているのを確認した後でゴリゴリと(ペンチか何かで)僕の歯を抜いて、その歯を歯医者さん頼んで袋に入れてもって帰ってきた。
家に帰ったあと、一人になった部屋でさっきまで親知らずのあった箇所を触ってみた。するとこめかみあたりにズキンとに痛みが走った。

ね?

 

それにしても麻酔されている最中の「今確実にめりめりと抜かれ歯と肉が離されていくのがわかるのに痛みがまったくない」という感覚は実に奇妙なものですね。

 

これ2008年頃に書いてたようです。ずいぶん昔だなぁ。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」を巡る個人的な小冒険

f:id:NENOi:20210826151157j:plain

こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。
先日機会があって『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』のゲラを読ませていただきました(貴重な機会をありがとうございます)。

『目の見えない白鳥さんさんとアートを見にいく』はタイトルのまんまですが全盲の美術鑑賞者である白鳥さんと作者の川内有緒さんとそのご友人たちと日本のあちこちで絵画や仏像、家やオブジェなどの現代美術を鑑賞しにいくノンフィクションです。

目が見えない人がどうやって鑑賞するのか?という多くの人が抱くであろう疑問とともに著者である川内さんもスタートし、目の見えない「かわいそうな人」白鳥さんといったラベルも気持ちいいほど簡単に剥がされ、読者もまた絵を通じてお互いを感じ合うやり取りに紛れ込んでその場にいるような感覚になります。
単なる美術鑑賞かくあるべしという枠を超えた、人のあり方にまで届くような本でした。


個人的な話なのですが、店主は読みながら自分に起きた一つの出来事を唐突に思い出してました。それはもう二十年位前のことで時期とか展示とか多少あやふやなのですがおそらく世田谷美術館でやっていた「ジョアン・ミロ展」を観ていた時(まだ二十代前半!フレッシュ!)、日経新聞を小脇に抱え、少しくたびれた四十代サラリーマンといった風体の男性がすぐそばで絵を見ていました。
そのおじさんは一人で絵の目の前に立ってはぶつくさと何事か呟いてて、そのせいか、いつしか彼の周りには誰もいなくなっていました。それはまるで彼の周りに見えない壁が作られてしまっていたかのようでした。
平日ということもあり、空いていたのであまりに気にしていなかったのですが、気づいたらとある一枚の絵の前でそのおじさんと一緒になってしまいました。
おじさんは「わからない、わからないなぁ。」と呟いた後、急に「これのどこが踊り子なんですか?」こちら向いて話しかけてきました。
「あのーもしかして私に聞いてます?」
とその時確かに思ったのも覚えているのですが、でも自分でもびっくりするくらいするりと
「感じればいいじゃないですか?」 
と返事をしていました。
そしたらそのおじさんは 「なるほど、感じればいいのか。ふーんなるほどね。」としきりに首を振りながら去っていきました。
その時店主の中でポンと何かが浮かび上がってきました。

マルセル・デュシャンは便器を置いて「泉」としました。
これは多くの人には「わからない」ものであったように思います。しかしデュシャンにとってその便器こそが「泉」だったのではないでしょうか!(すくなくともその瞬間においては)。
だから何かの拍子にデュシャンが発信した電波を受信するようにチャンネルが合えば鑑賞者もまた「確かに、これは泉だわ」となるのではないだろうか?という事でした。

もちろん、これはマニエリスム様式のルネサンス美術の解釈、分析には向かないだろうし、タイトルのない作品も沢山ある。けれど、作品から出てくるアート電波を受信するという感覚は割と楽しい試みなんじゃないだろうか?

 

とその時、思っていたのですが、本書ではまさに作品を前にしてその場にいる人たちが受信した内容を踏まえ「どう思う?」と意見を自由に出しあっているのです。こうじゃない?こんな風にも見えるよね。相手と真逆の意見があっても別に違う事を否定せずに、キャッチボールが行われ、いつしか白鳥さんもその投げたボールを受け止め鑑賞が始まります。
白鳥さんは対象が絵だったとしてもその絵のある空間、過程を含めて鑑賞します。その鑑賞のありかたは実は絵とか本とかに限らず、人に対しても言えることなのではないかと感じます。

目が見えている人が作品をちゃんと見れているかというとそんなわけではない事を気づかせてくれたり、社会的な問題を含んだ作品が登場したり、アートは向き合ってくれた鑑賞者に問いかけを送り、それが時として新しい世界の広がりをもたらしてくれる。そんな当たり前で素敵な事を改めて教えてくれました。

冒頭にバスに乗るシーンがあったせいなのか、白鳥さんとも川内さんともお会いした事はないのに既に二、三回は一緒に美術館に行く旅をした事があるような読後感に包まれました。

またしても個人的なお話しで恐縮ですが、本書には佐久間裕美子さんが登場するのですが、まさにその箇所を読んでいた日に当店に佐久間さんがお見えになるなど不思議なシンクロが起きたりもして忘れがたいタイトルになりました。

ところで日経新聞を小脇に抱えたおじさんの「わからないことを隠し立てもせずにわからないことして誰かに聞いた」という行為は実のところ尊敬に値する行為だと思うのだけどどうでしょうか?(聞いた相手はともかくとして)。