NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

雪のメリーゴーランド

リハビリがてら昔書いた掌編を少しだけ手直しして投稿します。タイトル付がいつも苦手です。

1.サキ

 サキという名の娘にあった。冬の事だった。
 その時、僕は山麓の山小屋のような宿に泊まっていた。
 何か目的があったわけではない。何かよくわからないもやもやした一切から逃げ出したかったからのようにも思うし、単純にどこかへ出かけたかっただけだったのかもしれない。正直なところ、よくわからない。とにかく僕はその山麓の村に滞在していた。
 逗留3日目、思索のままに歩いていたら雪の中に埋もれたメリーゴーランドを見つけた。

 天蓋付きのそのメリーゴーランドは埋もれているというよりも雪の中に閉じ込められ、封印されているようにも見えた。近くに寄って、よく見てみれば所々に錆びも浮かんでおり、打ち捨てられた施設のようにも見えた。僕は壁となっていた雪の裂け目から柵を越え、そのメリーゴーランドの天蓋の内へと入っていった。
そして一頭の白馬のもとへと歩を進めた。
 その白馬の上には娘がちょこんと座っていた。
「君は?」
 僕は訊ねた。
「サキ」
 娘は笑って答えた。
「君はどうしてここに?」
 僕が聞くと
「あなたが呼んだからよ」
 まだあどけなさの残る娘はそう答えた。
「そうか、僕が呼んだのか・・・・・・。いつからここに?」
「今でもあるし、ズーッと昔からでもあるわ」
  サキはおしゃま口で謎掛けを楽しむかのように答えた。
「乗らないの?」
 いわれて僕はサキが乗っている白馬の隣のたてがみをなびかせた茶色の馬にまたがった。
「僕は死んだの?」
 息をするのと同じ位自然に僕の口からそんな問いがこぼれた。
「死んだらここにいるあなたは何なのかしら?おかしなことを聞くのね、おじさん
「でも僕はもう何もないんだ。からっぽなんだ。どうして・・・」
 そこまで言いかけていたら急にモーターの駆動音のようなものが始まり僕の言葉を遮った。
するとパァーっと宝石をちりばめたかのようにあたり一面が輝いたかと思うと、メリーゴーランドがくるくるとゆっくり回り始めた。くるくると軽やかなBGMとともにメリーゴーランドは回る。くるくると。 
「メリーゴーランドは僕の最後の楽しかった思い出だろ。これは僕の中から沸き起こってきている幻燈のようなものだろう。だから今出てきているんだろ。違うのか?でも、そんなところでさえキョウコとサクラはいない」
「あるじゃない」
 サキは静かに、けれど凛とした声で言った。
「おじさんにはオモイとオモイデがちゃんとあるじゃない」

 「オモイとオモイデ」

まるで記号にしか聞こえない単語が僕に響いた。

2.オモイとオモイデ

僕がキョウコと結婚したのはもう8年も前になる。その後2年してサクラが生まれた。別段、仕事人間でもなかった僕は平日は比較的規則正しく7時位に起床し、大体夜の8時半には家に帰り、週末には3人でよく近くの公園に散歩に行ったりドライブに出かけたりしていた。キョウコがメリーゴーランドが好きだったので豊島園のメリーゴーランドにはよく3人で乗りに行った。3人で乗ったり、サクラが1人で乗っているのをキョウコと2人で傍らから見ていたりしていた。
 僕らは仲のよい家族だった様に思う。しかしある日、キョウコとサクラは死んでしまった。車で買い物に出かけた時にトラックと正面衝突してしまい、車もろともぺちゃんこになってしまった。たとえ僕ら家族がどんなに仲が良くてもトラックには敵わなかった。
 僕は2人の葬式を済ませ、忌引き休暇をフルに休んだ後、何事もなかったように会社へ出社した。9時に着いて7時15分に会社を出る、毎日毎日規則正しく、まるでそのリズムが壊れてしまうのを恐れるかのように通勤していた。
 2人が死んでしばらくすると、会社ではもう僕の家族がいなくなってしまったことなんて誰もが忘れてしまったかのように僕を含んだ日常は過ぎていった。でもそれは会社や同僚が悪いわけではない。生きている間に僕の妻と娘に会った事のない人達が本当の意味で哀悼の気持ちを持つなんてこと自体が土台、無理な話だ。何より2人の喪失を悲しむには社会は大きすぎたし、2人はいささか小さすぎた。
 2人がいなくなって4ヶ月と3日たったある日、ふと思った。
「なんで僕は働いているんだろう。もうキョウコもサクラもいないのに僕は誰のために働いているんだろう?そもそも僕は家族を愛していたの?気がつけば平然と毎日を過ごしているじゃないか」
 途端、猛烈な吐き気をもよおした僕は、トイレへ駆け込んだ。それ以来、毎日嘔吐が続いた。便器に顔を突っ伏しながら僕は本当に吐き出したいものがさっき飲んだインスタントコーヒーなんかではなく僕の疑念、あるいは僕の中にうごめいている正体の知れないどろどろした何かである事を知っていた。
 キョウコとサクラに僕の疑念に答えて欲しかった。叶うなら否定し、僕の中にあるそのどろどろした何かを吸い出して欲しかった。しかし2人は答えてくれることはなかった。なぜなら2人はもう死んでしまったのだから。
僕は
「オモイは2人に届かない。オモイデは答えてくれない」
そう思った。

3.再びサキ

「オモイもオモイデも結局”今”ではないよ。僕はそんなものにすがりたくないよ」
くるくると回るメリーゴーランドに揺られながら、そう僕が言うと、サキは少し悲しそうに
「オモイデにはオモイが必要で、オモイにはコドウが必要なの。死んでしまったらもうコドウは打てないの。死んでしまったらもうそれでオシマイ。それこそもう何もないの。『もう何!』ってくらい真っ暗。ポンっとオシマイ。それってあんまりじゃないかって思う?でも残念ながらそうなの。コドウを打てなくなるという事はそういうことなの。
だからコドウを打っている人たちがいなくなってしまった人を消してしまわないように、残っていたその人のカケラ使って自分の身体にその人の事を刻んでいくの。その刻まれたものがオモイデ。そしてその痛くて辛いことをする事を可能にているものがオモイ。わかる?」
「オモイデやオモイは痛かったり辛かったりでどうやらあまり良いものじゃないみたいだね」
「そう?それは考え方だわ。でも確かに『いない、いない』って喚きながら奥さんと娘さんがもういない事をありとあらゆるところで確認し続ける事でその2人がいない世界をどんどん広げていって、結果的に2人を消してしまおうとする人のほうが、その人達が確かにいた事を自分に刻みながら、その人達のかけらを拾い集めている人よりもある面では幾分建設的かもしれないわね」
「ある面では幾分・・・・・・」
 僕の呟きに構わず、サキは続けた。
「そう、ある面では幾分。もし今、おじさんが死んでしまえばますます2人は消えていってしまうわ。もう線香花火位に細くか弱くなってしまうわ。少なくともおじさんの中で2人は完全に消えていってしまうわね。それはある面ではもう願ったり叶ったりな事なのかもしれないけれど、今度はおじさん自身も消えてゆくわ」
「そうかもしれないね。けれど仕方がないよ。社会は2人や僕がいなくなった事を刻むにしてはあまりにも大きすぎるし、社会の中で2人はいささか小さすぎたんだよ。かさぶたにもならない」
 僕は特段の感情もなく、ありのままの事を言った。
「そうね、その通りだわ。けれどおじさんは社会じゃないわ。それにおじさんがいなくなったら今度は残されたおじさんの近しい人達が『痛かったり辛かったりでどうやらあまり良いものじゃない』事をしなくちゃならなくなるのよ」
 僕は何かを言おうとした。けれど何かは形にならず僕の手からすり抜けてしまった。結局、僕は何もいえなかった。
 メリーゴーランドは次第にゆっくりになりそして回転を止めた。それとともにBGMも止まった。
 サキは乗っていた白馬から降りておもむろに言った。
「そろそろおじさんは帰ったほうがいいかもしれないわね。ほら雪がもうこんなに」
周りをみると雪の壁がさきほどよりも遥かに高く聳え立っていてもうどこから出ていいのかと悩んでしまうくらいになっていた。
「戻ったところで僕はどうなるの?どうすればいいの?」
するとサキは一拍おいて
「そんなものは自分で考えなさいよ」
そう笑って言った。
 再び僕は何かを言いかけたが、急にサキがさっきまで乗っていた馬と僕が乗っている馬が動き出し、それをみている内に今度は言おうとしていた事を忘れてしまった。僕はこの2頭がその雪の壁の向こう側へと連れ出そうとしているのがわかった。
「君は?」
僕が聞くとサキは
「私はおじさんに呼ばれたからここに来ただけ、何とでもなるわ」
そう言ったきり後は何もしゃべらなくなった。そして2頭の馬は僕を乗せたまま雪の壁に突進していった。
 馬にまたがったまま、なぜか「振り向いてはいけない」と思った。だから僕はサキがどんな顔で見送っていたのかを見る事はできなかった。

4.手紙とトンネル。

 宿にどうやって帰ったのかはよく覚えていない。朝起きたら宿の自分の部屋だった。翌日、宿の主人にそれとなく尋ねてみると、村一番の松の大木の下でぐったりと座り込んでいたところを村の駐在さんが見つけ、駐在さんが質問したところ宿の逗留している旨を伝えてきたのでパトカーで宿まで運んできてくれたらしい。けれど僕はその親切な駐在さんの顔すら覚えていなかった。
 僕はこの村に来た時、死を想っていたのだろうか。
 わからない。
 もうあの時は既に過ぎてしまい、そして僕はここにいる。
 サキは僕に呼ばれたから来たと言っていた。僕は本当に呼んだのだろうか。
 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。実際のところそんなことはあまり意味がないのかもしれない。とにかくサキは呼ばれたと思ったから来たのだから。
 そんなことをぼんやりと意識の片隅で考えていたら、もうここはいいやと思った(もしかしたら帰ろうと思ったのかもしれない。それはわからない)。 
 僕は早々にチェックアウトし麓の駅に向かった。駅へ向かう途中、すれ違った子供達の会話から「メリーゴーランド」という言葉が聞こえたような気もしたが聞き間違いだったかもしれない。
 駅で切符を買い、電車に乗って荷物を網棚に載せようとした時、鞄の脇ポケットに封筒が入っているのに気づいた。この鞄を使うのは去年の香港への3週間出張の時以来だからその時の書類かメモか何かだろうと何気なく手にとって開いてみた。
 それはキョウコとサクラからの手紙だった。そこにはキョウコとサクラがいた。正確にはキョウコの字とサクラの字(といってもサクラは「パパへ」だけで後は怪獣の絵ばっかりだった)があった。内容は去年の香港出張期間中にあった2人の日々のことがつづられており、この手紙を香港のマルコポーロゲートウェイホテルの一室で読んでいた自分を鮮明に思い出した。そして常に自分の心の中にあると思っていた2人が既に色あせていたことを知った。

 その手紙が呼び起こしたキョウコとサクラはキラキラとしていた。

くるくるとメリーゴーランドは回る。くるくると。

「愛していたよ」
 そう思った。そして
「僕はこんなにも愛されていたんだね」

2人がいなくなってから初めて、僕は泣いた。
電車は長いトンネルに入った。だから僕がどんなに声をあげて泣き続けてもトンネルの騒音がその声をかき消してくれるだろう。

トンネルはまだ長い。