NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

船板は沈みかけている

こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

緊急事態宣言再延長されそうですね。

新型コロナの感染者数はなかなか減少に転じず、北海道、福岡、沖縄など新しい地域も緊急事態宣言下におかれるなど依然情勢は厳しいままです。

先日、発熱して改めて思いましたが、東京五輪本当にやるんですかね?2021年なのに2020のままで。昨年より感染者数はるかに多く、医療現場からはこれ以上、五輪に派遣なんかできない(しかも無賃労働)と悲鳴のような声も上がっているのに。*1

そんな折、ある水泳選手の声明を出しました。それに対して種々様々な反応がありましたが、肯定的、否定的はともかくとして選手や競技連盟の方面からの、コロナ禍における五輪の開催に対して声少なすぎるのではないかと感じます。

医療現場からスタッフを引き剥がし、感染拡大予防の為に実施している来日した人への隔離措置は五輪関係者には適用せず、国民には未だなされない徹底的なコロナ検査、全ての世代へのワクチン接種。
その上で、観客を追い出し、隔離された空間で行われる競技。競技場だけでなく、高速道路などは優先的に利用できるように便宜がはかられ、競技によっては公共のエリアを封鎖され、救急車両すらもその間は通る事が出来なくなる。*2五輪のせいで届くものは届かず、間に合うはずの救急対応は間に合わず、施せるはずの医療は施されずに死んでいく人がでる。
平時でも時としてそういう悲劇が起こることはあると思います。しかし現状既に逼迫しており、五輪が催行されれば頻発する事は容易に想像されます。

店主はこの2年、コロナではなく行政のせいで殺されそうになっていると折に触れて感じています。
満足な補償も対策もなく、夜の仕事に従事する人達を目の敵にし、それでも足りなければ飲食店のせいにし検査の数も増やさず、ワクチン接種に対しても、時間はたっぷりあったはずなのに、ワクチン到着してから慌てて防衛省と各自治体に丸投げし、その結果お粗末な急増の穴だらけな申請方法のシステムが組み上がり、穴を指摘されたら感謝どころか抗議をする。
五輪関係者7万8千人*3へのコロナ検査の実施も、日本のPCR 検査は一日あたり20万件ほど*4しかない現状からすると一気に1.5倍近くにまで増加するほどの負担になります。
その分の皺寄せは市政の人たちにきます。五輪に向けた準備のために割かれるリソースをコロナ対策に回せたらもっと被害は減らせたではないか?選手村を緊急の隔離、治療施設に利用できていたらなど素人でもすぐに思い浮かぶものもあります。
5月中頃に店主の親がワクチン予約しましたがワクチンの接種は7月。これもリソースがあればもう少し前倒しにできたかもしれない。
5月5日に五輪のマラソンテストマッチがあったがために「まん防」の要請が遅れた北海道の感染者数は東京、大阪を超える勢いなっています。
開催が近づくにつれ行政だけでなく五輪もまた店主を殺しにきているように感じます。

大河ドラマ『いだてん』で阿部サダヲ演じる田畑政治役所広司演じる嘉納治五郎に「いまの日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか?」に詰め寄る場面がありましたが、この五輪のせいで確実に人が「殺される」五輪は「あなたが出場したいと憧れた五輪なのですか?」と聞いてみたい気持ちに駆られます。

これは政治の問題ではなく命の、人道的な、人間性の、ヒューマニズムの問題だと店主は思います。

それだけに「それでも五輪は目標であり誰を犠牲しても出たい」なのか「人を殺してまでも出たくない」なのか声を出す選手、競技連盟なりがほぼいないことにガッカリした気持ちになります。
もちろん現状に対して選手に非はなく、悪いのは行政である事は自明です。本来ならここまで迫られることはない事柄です。
ガンダムF91』におけるセシリー・フェアチャイルドのように状況に巻き込まれ「こうなっちゃったのよ、こうできちゃったのよ…どうしたらいいと思う?」と聞きたくなる気持ちもあるかと思います。
一人じゃ何も変えられないと思うかもしれない。けれど一人の声が無ければ全体が動く事はないのです。
「競技に人生をかけてきた選手たち」という擁護も見られますが、人生かけてお店を開業した人達には何故そのように言わずに五輪だけに言われ優遇されるのでしょうか?ここで補償があれば10年後には世界的なお店になった所もあったかもしれません。

店主は時折、難破した船から放り出されて、どうにか船板を溺れそうになりながらしがみついているような気持ちになる事があります。でもここ最近その板の片方を五輪に掴まれているような感覚を覚えます。
しかも五輪は溺れかけているわけではなく浮き具をあちこちにつけ、パラソルまでつけているのに何故かこちらの船板を掴んでくるのです。

そんな状況で開催された五輪で選手が「皆さんの応援を力に」とか「皆さんに少しでも元気を与えられたら」とか言われたら正直ムカっ腹が立ちます。これは店主の感情の問題。
でも店主がこの先新型コロナにかかってしまったり、店主の周りの人が罹患し、苦しんでいたらムカっ腹どころか確実に行政、オリンピック、そしてそこに出た選手達を憎むと思います。そして新型コロナに罹患する可能性は残念ながら高いままなのです。
(もちろんコロナ以外の病気、怪我でも今の状況では命取りになる可能性もあります。その場合でも同じように感じるのではないかと思います)

IOCの偉いタカリやみたいなおじさん*5が「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない。アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」と発言したそうですが、その犠牲の多くを払うのは市政の人々であり、余りにも犠牲の割合がいびつではないでしょうか。*6
その上に立つスタジアムで実現するアスリートの五輪の夢とやらは果たしてそれに見合うものなのでしょうか?

少なくともそんなよくわからないもののためにこれ以上犠牲にはなりたくない店主です。