NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

この世界の片隅でI(アイ)と叫ぶ

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こんにちは。
早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。

 当店では毎月Running & Book (& Beer)という本屋なのに走るイベントを開催しています。ありがたい事に雨で開催できなかった日を除き、参加してくれる方が必ずおり、なぜか女性の方の参加率が高い傾向にあります。

 先日、普段から夜にも走るという女性の方が参加された時のお話が余りにも予想外で衝撃的でした。店主が
「夜も走るんですね。店主の妻は『夜は怖い』とまず一人では走りませんよ。」
と話しかけるとその方は
「大丈夫ですよ。いざとなったら逃げ込める場所を5箇所くらい用意してますから」(ト笑顔)
 店主としては「夜走るのは気持ちいいですよね。」みたいな言葉を想定していただけにあまりにも予想外のコメントに走りながら固まってしまいました。

 少し聞いてみるとやはり少し賑やかな場所とか走っていると、酔っ払いを中心に声をかけられる事があるとのこと。
 対して店主は夜に走っても、一度も「いざとなったら逃げ込める場所」とか考えた事なかった事に気づきました。
 店主が過去に遭遇した事があるのは道に迷ったと思しき警官に「〇〇ってこっち方面ですか?」と道を聞かれた事と、オリンピックイヤーでもないのに井の頭公園の酔っ払いに「オリンピック出るのか?」と声かけられたくらいで、身の危険とかを感じた事もありませんでした。
 それだけに、夜に走る行為一つで男性と女性という、ただそれだけでこんなにも違うのかとしばらく呆然となりました。

 それで思い出したのですが、大学生の頃、友人数人で飲んでいた時、その内の一人の携帯電話に着信がありました。友人はその電話に出て、しばらく電話の向こうの人物と話していました。時折、耳に入ってくるやり取りは特に緊急性を感じるものではなく、何故電話を続けているんだろう?と訝しんでいたところ「あっ自宅着いた?おっけーじゃあ電話切るわ。」という一言で唐突に電話は終わりました。
 後で聞いたところ、夜に犬の散歩に出ていた妹から電話だったそうです。「通話状態にしておけば何かあった時にすぐにわかるから」というのがその時の電話の理由で、その当時はそういうもんかね、と聞き流していたのですが、今ならその電話も意味もよくわかります。

 なんでこんな事を書いているかというと先月の記事ですが北海道は札幌に”かの書房”という本屋があり、そこの店主さんがブログで下記の様な事を書いていました。

踏み込んで私生活を聞いてくる初対面の方が増えたことが一番大きな負担になっているのです。
「彼氏はいるのか」「結婚してるのか」などを聞いて来られる男性、初対面で実家の住所を聞き出そうとする方などもいらっしゃいました。
そのため、初めてご来店される方々に必要以上に警戒心を抱いてしまいます。
はっきりと恐怖を抱いたのは、年が変わるすこし前のことでした。
店を閉めた直後から、自宅までつけてこようとする方がいらっしゃいました。
お客様かどうかはわかりませんし、途中、コンビニに逃れたので、私に何か被害があった訳ではありません。

(かの書房がゆく!2020/1/9 の記事より)
https://kano-syobo.hatenablog.com/entry/2020/01/09/120612

 店主は上記のランニングの時の事があったので「やっぱりそうなのか」という気持ちでした。女性一人だとそこに付け込まれるのかと。
 同時に悔しい気持ちにもなりました。お店を始めたいと思った人がただ女性というだけで、阻害されてしまうのかと。

 Twitterでも多くの女性が痴漢にあったり、危ない目にあったりしている「日常」を投稿しています。つい先日も大阪の中津駅で女性が痴漢されたのち、襲われたという事件の報道がありました

 最近では「フェミニズム」という言葉よりもともすれば「ポスト・フェミニズム」という言葉の方がよく見かける様に思います。
ポスト・フェミニズムという概念がある事はなんらおかしい事ではないし、理解もできます。けれど今の日本においてはまだまだ「ポスト(達成された過去)」として語る前に「プレゼント(現在)」を見て語るべきなのではないかと感じます。

 フェミニズムは、多くの人がご存知の通り女性の権利を求める思想ですが、目指している場所は「男女平等」です。ただ徒に権利を求めているわけではないのです。

 ローザ・パークスが白人専用と書かれたバスの席に座りたかったから、座ったのと同様に女性だって、一人で安全にお店を開きたいし、夜に走りたい。
痴漢されても泣き寝入りで、声をあげたら「された方にも問題があるのだ」なんて言われたくない。

 もっと言えば、男性だから女性だからとか変なジェンターロールや人種、国籍さえも超えて「「わたし、I(アイ)」は私である」とどんな人でも言えないと環境は悲しいと店主は思います。もちろんそのバックグランドに自身が人種や性別、国籍に誇りを持つことは何もおかしいことではないですし、両立する事柄だと思います。

 そこに求められるのはシンプルに「他者への敬意」を持つことだと思うのですがどうでしょうか?

 何だか色々書いた割には単純な事しか書いてないですが、単純である事と、簡単にできる事は同じではないですし、またする事が複雑になると何をすればいいのかがわからなくなります。
(「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」が「42」であるのと似てますね。。。。似てませんね。。。)

日本財団が行っている最新の18歳意識調査では日本は残念ながら下記のように将来に前向きではないという結果が出ています。

「将来の夢を持っている」、「国に解決したい社会課題がある」との回答も他国に比べ30%近く低い数字となっています。さらに「自分で国や社会を変えられると思う」人は5人に1人、残る8カ国で最も低い韓国の半数以下にとどまり、国の将来像に関しても「良くなる」という答えはトップの中国(96.2%)の10分の1。全体に途上国、欧米先進国のいずれと比べても数字の低さが際立つ調査結果となっています。

日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」(9カ国調査)より)
https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html

 店主は少なくとも女性がもっと暮らしやすい国になれば、この意識もだいぶ改善されるんじゃないかなぁと思っています。
 それだけでだいぶ変わるのならと思うとちょっとワクワクしてきませんか?やっぱり「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」!