NENOiのブログ

ここに書いてある事は店主が感じた事、考えた事を記していますが大抵のことは既に先達が書いています

「坊や」にガンダムをみせてみました。

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こんにちは、早稲田にあるカフェスペースのある本と雑貨のお店NENOiの店主です。
先日どこで覚えててきたのか4歳になる店主の子どもが「ガンダムガンダム」と騒ぎ始めたので「機動戦士ガンダム」を見せてみる事にしました。
そしたら思いの外多くの発見があったのでその事について書いてみる事にしました。

 

機動戦士ガンダム」と子ども 

当初は映像的にも映画三部作の方が綺麗だからそちらを見せようと思っていたのですが、毎日何回も「ガンダム観たい、観たい!」と騒ぐようになってしまったので、劇場版三部作のうち一作目だけを見せて、その後はTV番組版を一日一話と区切って見せる事にしました(Netflixさんありがとう!)。

観せながら「4歳の子どもにこの話わかるんかいな?」って当初は疑問視していたのですが子どもなりに楽しんでいるようでした。
そんな折に子どもが言った二つセリフに店主はガガーン!となりました。それは

「この白い仮面してる赤い人かっこいい」
「目が一つのロボットは悪いんだよ」

の二つでした。

白い仮面してる赤い人はシャアという名前で主人公ライバルに当たるキャラクターです。店主も小さい頃シャアカッコいいなと思いましたし、その後も多く放送された沢山のガンダムシリーズの中でも屈指の人気を誇っています。
また、主人公達の属する地球連邦軍のロボット(モビルスーツ)には単眼のロボット(モビルスーツ)は出てこず、主人公達と対立関係にあるジオン公国のロボットは全て単眼になっています(ジオンが悪いのではなくスペースノイドを迫害してきた地球連邦政府こそみたいな議論はまたの機会に)。
これって「子ども」が「子どもなりに理解している」のではなく「製作者」が「子ども達が少しでも理解しやすいように作品をデザインをしている」って事ですよね。 
そのようにデザインされているからロボット(モビルスーツ)が戦うシーン以外でも割と集中したまま鑑賞しているし、セリフなんかわからなくても響きが楽しいのか「ガルマ!ガルマ!」とか声に出してはしゃいだりしている(なぜかしてたんです。後「ギャン」)と舌を巻くような気持ちでした。

ちょうど同時期に子どもが観ていた(今もやっている)某仮面ヒーロー物がどうにもノレなくて、店主がしっかり観てないせいかなとも思ったのですが、子どもも仮面ヒーロー同士が戦っている時は食いついているのですが、その他のパートは見向きもしない。多分ストーリーも全然わかってない感じです(店主もしっかり観ていないのもありますが、誰だ誰やらみたいな感じです)。

機動戦士ガンダム」と言葉 

実は上記の仮面ヒーロー物を子どもに見せている時からずっと嫌だなぁと思っていたことがありました。
それは言葉遣い。
一番顕著なのは他人をほぼ全ての登場人物が「お前」と呼んでいる事。
これ実はガンダムでも頻出です。けれど総じて
ガンダムの方が今やってる仮面ヒーロー物より言葉遣いが綺麗」
 と感じました。
もちろん今の時代に「アムロ、発進よろしくて?」のように「よろしくて」なんてピンと来ないかもしれませんが、「セイラさん、おだてないでください」と主人公のアムロは他者に「さん」付け(しないのは幼馴染のフラウボウくらい?)だったり。敵、味方問わず話し方に品があるように感じます。 
どちらも「お前」が頻出しているのにどうしてここまで言葉遣いに対する印象が違うのか?と考えていたのですがこれはひとえに「語彙」の数が違うのではないかと思い至りました。
「おだてないでください」「こいつ、こざかしいと思う」「僕はあの人に勝ちたい」「こういうときは臆病なくらいがちょうどいいのよね」「認めたくないものだな…自分自身の若さ故の過ちというものを」「謀ったな!シャア」 
ちょっと思いつくだけでも印象的なセリフがたくさんで(ガンダムの場合、ファンの方が何度も口にするからというのもありますが)、「謀った」「こざかしい」「過ち」など多くの言葉が飛び交っています。
それだけでなく性格や、ポジション、年齢などに応じて言葉の使い方がすごく変わっていて一回しか登場しない、空き家となっていたアムロの地球の家で酒盛りしている連邦軍兵士達の中でさえも上官とその他でも言葉遣いが違っていたりと、言葉だけでも関係性が重層的に見えるような印象を持ちました。
他方、今の仮面ヒーロー物は「お前、ドラァ!倒す!許さない!」という「!」がつくようなセリフばかり目につく印象です(これは店主がしっかり鑑賞していないというのもあります)。
これは仮面ヒーロー物が問題というよりも『機動戦士ガンダム』が放送されていた頃の公共の電波に乗って流される映像に対する言葉遣いへの姿勢と現状との差なのではないかと思います。

当時が丁寧というよりもその頃に比べると総じて語彙が減って、セリフとしての言葉が「雑」になっていっているのではないかと感じたりします。 

機動戦士ガンダム」のリアル

子どもがガンダムガンダムと騒いだのは実は昨年の事でそこからほぼ毎日1話を見せていたのですが、最終決戦となる残り3話くらいからあまり「ガンダム観たい」と騒がなくなりました。
理由は単純に「怖い」から。
実際に終盤になるにつれ名前のあるキャラクターかどうかは関係なく、戦闘は過酷になり死ぬ人がものすごく増えていきます。
その過酷さ表現の中に「少年兵」も登場します。
名もなき少年兵は「お母さん」と叫びながらロボット(モビルスーツ)の中で絶叫しなから死んでいきます。
もちろん、アムロ達主人公が乗る戦艦(ホワイトベース)の主要な乗組員のほとんどが10代で「寒い時代だとは思わんか?」と言われしまうような状況なので既にとんでもないのですが、ただアムロ達は鑑賞者とあまり変わらない年齢の子供達という、共感を喚起させるような効果も合わせて期待されて設定されているのとは異なり、先の名もなき少年兵はただただ戦場の悲惨さの演出として登場しているよう思います。
ガンダムって1979年に放送されていたので正直今から観ると古かったり、ふとした場面でありえないような適当さがあったりもするのですが「戦う、戦争」という事に対してのひやりとするリアルさがあるよう思えます。
「塩が足りなくなる」エピソードとか子どもに配給された食事を知らない大人が盗み食いしてしまう描写とか。
1955年の初代「ゴジラ」で「また疎開か、いやだなぁ」のセリフのような日常描写においてもゾッとするような。それに近い挿話が多く見られます。

そういう積み重ねがあるから簡単に死ぬという意味で死が軽いけど、そもそも人が死ぬことって全然軽くないよね。って部分があまり揺らがないように思いました。

 子どもは今でも時折思い出したように「ガンダムみたい」と言い出すのでZガンダムを観せ始めています。正直この作品暗いんだよなぁと思う一方で今度はどんな発見をしてくれるのか楽しみだったりもしています。